1900年開業! 九州初の電車「別大電車」はなぜ別府に作られたのか? 地域開発の陰に消えた儚い歴史をたどる
別大電車の歴史は、地域の発展と交通手段の変化を示す貴重な例で、別府と大分を結ぶ交通の重要性を再認識させる。1900年に九州初の電車として開業し、観光地としての発展を支えたが、自動車交通の増加と利用者の減少で廃線に至った。この歴史は地域経済と交通の変遷を物語っている。
明治の実業家が支えた電車の誕生

1890(明治23)年には愛媛県の実業家などの出資により事務所を設立、1894年には敷設するための免許が下りた。
区間は別府港に近い別府町南町(現在の別府市楠町付近)から大分町堀川町(現在の大分市千代町、都町の北側)。この愛媛県の実業家は別府港開港を受けて別府に銀行の支店を出店しており、開港と電車敷設が密接にかかわっていたことが伺える。
日本初の電車が京都・伏見で開業(1895年)した翌年、1896年8月に最初の会社「豊州電気鉄道」が設立され、1900年5月に最初の営業路線となる別府~大分(堀川)間、約7.7kmが開業した。九州初の電車であり、大分県では初の鉄道でもあった。
別府~大分間の、のちに別大国道(国道35号線 → 国道3号線 → 現在の国道10号線)と呼ばれる区間を走る場所は特に難工事で、崖と海の間の狭い土地に軌道が敷かれた場所もあった。また、これに合わせて別府町の終点近くに火力発電所が造られ、別府市内では電気街灯が整備された。