路線バス問題だけじゃない! なぜ日本では「移動の自由」に関する真剣な議論が起こらないのか【連載】ホンネだらけの公共交通論(16)

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移動は、誰もが心身の健康を増進するために必要不可欠なものである。今こそ日本は、移動の有用性を再考し、政府が「移動する権利」を明確に認める環境を整えるべきだ。

交通本来の役割

日々移動する人々(画像:写真AC)
日々移動する人々(画像:写真AC)

 日本でいわゆる、誰もが自由に「移動できる権利」が問われるようになったのは1960年代後半からだ。

 1964(昭和39)年のパラリンピックでは、車いすを利用した外国人選手の

・自由な買い物
・レストランでの食事

が社会的な話題となった。リフトバスの存在もそのときに知られるようになった。リフトバスとは、車いすのままで乗降できるようにリフト(昇降装置)が装備されたバスである。

 交通を中心にしたバリアフリー、ユニバーサルデザイン(普遍的なデザイン)が専門で、路線バスの研究者でもある筆者(西山敏樹、都市工学者)は講演や対談で、交通の“役割”は生活者の三大欲求である、

・物
・情報
・場

を得るためのものと説明している。パラリンピックの外国人選手たちは、本当に自由に物・情報・場を手に入れようとしていた。日本の選手たちにとってはカルチャーショックだったに違いない。

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