大阪・堺市「LRT計画」はなぜズッコケたのか? 市民不在で進み、市民によって葬られた“残念結末”を振り返る
大阪府堺市には複数の鉄道路線が走っているにもかかわらず、東西を結ぶ鉄道はなく、バスに頼ってきた。東西交通路の計画は100年も前から浮かんでは消えてきた。
LRT計画中止
こうした反対の声を背景に、2009年9月の市長選では、
「費用対効果が明らかではない」
としてLRT計画の中止を公約に掲げた竹山修身候補が当選する。市民の民意を反映し、東西鉄軌道計画は白紙撤回されることとなった。市は後に、
「LRTを導入することが中心部のにぎわいに貢献することを十分説明できなかった。それが市民の合意形成に失敗した要因」(後述『阪堺線存続の歩みと東西鉄軌道計画の中止について』より)
と総括せざるを得なかった。
巨額の事業費に対する懸念、生活環境への影響、にぎわい創出の実現性への疑問――。拡大を続ける計画に対し、市民の反発が次第に強まっていった。行政と市民の意識のずれが決定的になるなかで、東西鉄軌道計画は中止へと追い込まれていったのである。市民不在のまま突き進んだ計画は、最後には市民の手で葬り去られる結末を迎えたのだ。
東西鉄軌道計画の頓挫は、堺市の公共交通の未来に暗い影を落とした。計画が頓挫したことで、阪堺線が廃止の危機に陥ることになったのだ。これは、一般市民が中心となった存続、活性化に向けた粘り強い活動により、2010年9月に堺市が10年間の存続支援の方針を決定し、現在も路線は維持されている。
その後、2019年の市長選で選挙公約に「東西交通網の計画に着手」と明記した永藤英機市長が当選し、市は改めてLRTも含めた複数の交通手段の検討を開始、現在は、南海本線堺駅と南海高野線堺東駅を結ぶシャトルバスを、電動化などに対応した次世代都市交通(ART)に切り替えることが検討されている。