大阪・堺市「LRT計画」はなぜズッコケたのか? 市民不在で進み、市民によって葬られた“残念結末”を振り返る
大阪府堺市には複数の鉄道路線が走っているにもかかわらず、東西を結ぶ鉄道はなく、バスに頼ってきた。東西交通路の計画は100年も前から浮かんでは消えてきた。
教訓残した失敗

この失敗は、交通政策の在り方に多くの“教訓”を残した。
いかに理想的な計画でも、市民の理解と納得が得られなければ前には進めない。行政には丁寧な説明と市民の声に真剣に耳を傾ける姿勢が何より求められる。同時に、交通政策をまちづくりや都市の将来像と一体的に構想し、戦略的に進めていく視点も不可欠だ。
21世紀の交通として全国で構想が進むLRT。2023年開業した宇都宮市ライトレールは、市民の移動手段を大きく変えている。しかし、一方で計画が具体化したものの立ち消えとなった事例も多い。堺市の挫折は、さまざまな教訓を残している。
阪堺線存続の歩みをまとめた池田昌博・野木義弘・ペリー史子の3氏による論文「阪堺線存続の歩みと東西鉄軌道計画の中止について―市民活動から見えてきたものとこれからの課題―」(『大阪産業大学人間環境論集』20)では、こう記している。
「堺市が政令市に相応しいまちづくり戦略,総合交通政策の一環として,全庁体制で市内交通ネットワークの検討に再着手し,具体的なアクションプログラムを市民・公共交通利用者と事業者と一体となって取り組むならば,次の四半世紀はコロナ禍を乗り越えた次世代に誇れる人と環境にやさしい、文字通り、自由自治都市「堺」が実現するものと考える」
公共交通は人が住む街づくりの“基礎”である。まずは全員参加の議論がなければならない。