滋賀「米原駅」がびっくりするほど栄えてない理由 新幹線が停まるのになぜ?
東海道新幹線、東海道本線、北陸本線、近江鉄道が乗り入れているにもかかわらず、米原駅周辺は活気がない。というか、本当に何もない。なぜなのか。
大型商業施設の誘致とその影響
米原駅周辺の開発は、行政の一貫性のない方針によっても混乱を招いた。特に象徴的なのが、役場庁舎の移転問題だ。
1956(昭和31)年、駅周辺が合併して米原町となった際、役場は旧市街地の東口側に置かれた。ところが1970年、駅西側の区画整理を機に、役場を西側に全面移転したのである。
これが契機となり駅西側では宅地化が進み、1986年には大型商業施設(平和堂米原店)もオープンしている。結果、東口の商店街は衰退していくことになる。しかし、西口もあまり発展はしなかった。周囲の彦根市や長浜市との競合から、商業集積が進まなかったのである。
さらに2005(平成17)年の合併では、役場機能が旧4町に分散することになり、中心軸は極めて曖昧になった。改めて2021年には米原駅前に駅直結の新市庁舎が建設されたが、今度はまた東口に戻ることになった。
結局、この半世紀で役場は東西を行ったり来たりが繰り返された。結果、一貫したまちづくりビジョンを欠いたツケが、市街地の分断と拠点の分散を招いた。「まちの核」を定められない米原は、いまだ一体感のあるまちなみを形成できずにいる。