クルマ愛ゆえの辛口? 自動車評論家「徳大寺有恒」没後もうすぐ10年、モータージャーナリストの私が今でも尊敬し続けるワケ

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自動車評論家の徳大寺有恒氏が2014年に亡くなってからもうすぐ10年近くがたつ。彼の評論家としての功績を改めて振り返ってみたい。

没後もうすぐ10年、功績再評価

「徳大寺有恒ベストエッセイ」(画像:草思社)
「徳大寺有恒ベストエッセイ」(画像:草思社)

 2014(平成26)年11月に自動車評論家の徳大寺有恒(ありつね)氏がこの世を去って10年近い歳月が過ぎた。10年という節目を前に、ここで改めて氏の評論家としての功績を振り返ってみたい。

 筆者(矢吹明紀、フリーランスモータージャーナリスト)が氏の存在を明確に認識したのは1980(昭和55)年頃のことである。それは他の多くと人と同じく、その時点で既にベストセラーとなっていた氏の代表著作である

「間違いだらけのクルマ選び」

を通じてのことだった。

 当時はまだ学生だった筆者は、いくつかの自動車雑誌を購読していた。ドライバー、モーターファン、そしてたまにカーグラフィックといったラインアップだったと記憶している。

 これらの雑誌に掲載されていた記事は、おおむね

・新車紹介
・技術解説

など、いずれも淡々と事実のみを紹介するだけで、書き手の“個性”などは基本的には無縁だった。個人的にはむしろそうした記述を好んでいた記憶がある。

 唯一、カーグラフィックのみは外車のロードインプレッション(試乗記。新車を公道で試乗し、走行性能、操作性、快適性などを評価すること)なども多めに紹介されていたが、正直その内容は今ひとつピンと来なかった。これは当時の筆者の運転経験不足が主な理由だった。

 そうした状況のなか、初めて接した徳大寺氏の文章は新鮮だった。何よりも書き手の顔がそこにあるようにも思えた。当時は“信頼できるジャーナリスト”であるかどうかなどはどうでもよく、

「シンプルに共感できる文章と内容」

だった。

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