クルマ愛ゆえの辛口? 自動車評論家「徳大寺有恒」没後もうすぐ10年、モータージャーナリストの私が今でも尊敬し続けるワケ
クルマ評論の変遷、徳大寺氏の功績

そんなこんなで当時は面白く読んでいただけだったのだが、筆者が大学を卒業し一転して文章を書く側になったとき、改めて氏のすごさを思い知らされた。
・面白い文章
・読者に共感を抱いてもらえる文章
というものは一朝一夕に身につけることなどできない。それがクルマという機械を扱ったものであれば、それについての深く多岐にわたる経験こそがモノをいう世界である。一体、徳大寺氏はそれまでどれだけのクルマ経験を積んできたのか。そしてそこからどれだけのものを吸収してきたのか。
氏が執筆していた評論とは、いわゆる新聞記事のようなジャーナリスティックなものとは明確に異なっていた。むしろ事実をバックグラウンドとしたエッセー、それも恐ろしく内容が深いものだった。
筆者はそんな氏の文章が大好きだったが、無批判に礼賛していたわけではない。特に自動車雑誌での仕事を始め、さまざまなクルマを自身の手で運転できるようになってからは、氏が感じたものとは異なる印象を覚えることも多々あった。
そこで思ったのは、何がよくて何がよくないかではなく、感じたことの違いが文章の個性を生むということであり、それまで積み重ねてきた経験の違いでもある。
経験と感性を頼りにあるモノを評価し文章を紡ぐ――。それには何が重要なのか。このことは筆者自身常に自らに問いかけていたことだった。そこで常に注意していたことは、ページの向こう側でこの記事を読んでいる読者は、一体何を求めているのだろうか。ということだった。
1980年代のクルマというものは、正直今ほど出来はよくなかった。あらを探そうと思えばいくらでも見つかったし、そういった部分ばかりを集めたリポートは
「辛口」
として評価が高かった時代でもある。徳大寺氏がその名を高めるきっかけとなった「間違いだらけのクルマ選び」もまた、ある意味こうした辛口が売りだったことは間違いないが、今思えば決してそれだけではなかった。辛口の部分と同じくらい、むしろそれ以上にクルマに対する
「愛情」
があったといったら褒め過ぎだろうか。
今まで長く人生をともに歩んできたクルマというものに対する文章だからこそ、厳しいことも優しいことも同じように語る。そこには書き手の経験と人となりが伺うこともできる。こういったスタンスで評論活動を行っていたのが徳大寺氏だったということに気付いたのは1980年代も終わりの頃である。
こうして徳大寺氏の存在は、書き手としての筆者に大きな影響を及ぼすこととなったというわけである。