ホンダのあふれる情熱ハイブリッド! 世界一の低燃費車「インサイト」の衝撃を覚えているか【連載】90’s ノスタルジア・オン・ホイールズ(6)

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1990年代は、バブル崩壊後も未来への夢と希望に満ち、国内の自動車産業も活況を呈していた。本連載では、当時のクルマ文化を探るとともに、興奮を読者に甦らせる。

異端の3ドア

初代インサイト(画像:本田技研工業)
初代インサイト(画像:本田技研工業)

 1999(平成11)年11月。バブル崩壊の後遺症が過去のものになろうとしていたころ、ホンダは初のハイブリッド車(HV)を発売した。その名も「インサイト」である。

 当時、ハイブリッドといえば1997年12月から発売されていたトヨタ・プリウスが国内外で大きな注目を集めていた。そんななか、常に時代をリードすることを開発の最優先課題としてきたホンダは、やや出遅れていた。プリウスから2年足らずで発売されたインサイトは、その遅れを補って余りある“個性と機能の塊”だった。

 日本におけるHVの“元祖”でもあったプリウスは、最初からファミリーカーとして使用されることを前提としていた。それゆえの4ドアセダンであり、HV固有のメカニカルコンポーネンツ(機械部品)を除くと特に個性があるわけではなかった。

 一方、インサイトは、ハイブリッドメカも、クルマとしてのカテゴリーも、プリウスとはまったく異なっていた。スペックとしては、ボディは3ドアのハッチバッククーペ。乗車定員はふたり。コンパクトかつタイトにまとまったボディは、ホンダのラインアップのなかでも異彩を放っていた初代CR-Xの純度を大きく高めるスペックだった。

 エンジンは排気量わずか995ccの3気筒。ハイブリッドメカは、エンジン本体とトランスミッションの間にアシストモーターをセットしたもの。構造上、巡航はエンジンのみ。加速時にモーターアシスト、減速時に回生を行い、モーターのみでの走行はできなかった。さらに、従来型と同じトランスミッションと組み合わせていた。

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