世界に広がるスケボー熱! その歴史は、遊びのための「移動手段」として始まった
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舞台はプールと排水溝

1960年代から1970年代にかけてのロサンゼルスのスケーターの多くはサーファーで、悪天候や波のない日にスケートボードを楽しんでいた。彼らは、1950年代から1960年代にかけて住宅開発が進んだ郊外のアスファルトの車道や道路でスケートをしていた。
また、道路だけでなく緩やかな広い斜面(バンク)でもスケートができる場所を都市空間に求め、サーフィンに近い身体動作を行うようになった。
1970年代後半には、プールもスケートボードスポットとして見られるようになった。特にマリブやサンタモニカといったロサンゼルスのアッパーな地区では、どの邸宅にもプールがあり、メインスポットのひとつとなった。日本のプールとは異なり、ロサンゼルスのプールは底面から壁面にかけて湾曲しており、その変化が人気だったのだ。
また、治水事業の一環として設置された排水溝も人気のスポットだった。究極のものは巨大なコンクリート製の「フルパイプ」だった。場所にもよるが、直径14~15フィート(4.3~4.6m)から30フィート(9m)までさまざまだった(もちろん、そのような場所でのスケートボードは本来禁止されている)。この頃にはすでに米国全土のスケートボード人口は4000万人に達したといわれている。
1980年代の米国におけるスケートパークの数は一時激減したものの(詳細は、Borden2001; 清水2023を参照)、1990年代以降は再びコンクリート製スケートパークが多く設置されるようになった。 スケーターの数も増え、スケートボードは、「遊び」や「娯楽」として若者たちの人気を集めた。
スケーター人口を増加させた背景のひとつには、世界的なコンテストが開催されるようになったことが挙げられる。1997年にフランスのモンペリエで初開催された「FISE(Festival International des Sports Extremes)」や、2000年代初頭に米国で始まった「X Games(前身はエクストリーム・ゲームズ)」などだ。後者は2022年と2023年に千葉で開催されたこともある。
このように、スケートボードは個人技を披露し、競うスポーツ文化としての側面も持つようになった。