横須賀~富津を結ぶ「東京湾口道路」は本当に実現可能? 協議会9年ぶりに開催も、過去発言に見る両者の埋めがたい“温度差”

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千葉県で、東京湾アクアラインに次ぐ新たな道路の建設計画が盛り上がっている。7月、富津市役所で同県13市町の首長が集まり、「房総地域東京湾口道路建設促進協議会」が9年ぶりに開催されたのである。

実現ささやかれた80~90年代

富津市のウェブサイト(画像:富津市)
富津市のウェブサイト(画像:富津市)

 この大胆なプランに対して、建設省は1962(昭和37)年に東京湾横断道路を前提に調査を行ったものの、あくまで“夢物語”の域を出なかった。

 同じく産業計画会議の勧告が発端となった東京湾アクアラインは、1970年代から技術的に可能と判断され、1989(平成元)年には着工に至っている。東京湾アクアライン実現可能性が高まったことで、1980年代には東京湾口道路も実現性を帯びていた。

 中曽根政権下の1987年に作成された「第四次全国総合開発計画(四全総)」では

「東京湾湾口部を含む東京湾広域道路網構想の検討」

が記載されている。

 また、1998年に作成された新たな開発計画「21世紀の国土のグランドデザイン(五全総)」では、東京湾口道路は、

・豊予海峡道路
・紀淡海峡道路

などと並んで「多軸型国土計画」を実現するプロジェクトとして位置づけられている。ようは少なくとも1998年までは、東京湾口道路は将来実現する可能性の高い国家プロジェクトと考えられていたわけだ。

 当然、国の動きが活発だった時期には浦賀水道両岸でも期待の声があがっている。1980年代には富津市、横須賀市の議員などが建設を促進するための議員連盟を組織している。

 その後、1992年には横須賀市が波及効果を調査、1994年には房総地域で、1995年には三浦半島地域で建設促進協議会が設立されている。東京湾アクアラインが開通した1997年には富津市、横須賀市は両岸で花火大会を開催し、東京湾岸の均衡ある発展のために、道路はもう一本必要だと気勢を強めるまでになった。

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