「高齢者を敬え」「常に空けろ」 ネットの“優先席”論争はなぜ異常なほど白熱するのか?
公共輸送機関を利用する人にとって、優先席は身近な話題だ。普段から譲ったり譲られたりすることはあり、優先席には座らないと決めている人でも、優先席を巡るやり取りを見ていて、思うところがあるだろう。
相手を「頭が悪い」と罵る前に

同じように
「今の日本社会を作ったのは誰だと思っているんだ。高齢者を敬え」
といった主張も
「なぜ非正規雇用の貧しい若者が豊かな老人に席を譲らなければならないのだ」
といった主張も、目の前の人とはほとんど無関係に思えるが、ひとまずこのような主張を表明する、あるいは自分にいい聞かせることで、うすうす「間違っているかもしれない」と不安になっている自分の意見を正当化して、心の安定を取り戻せる。
2番目の「攻撃」は、文字通り相手に対する攻撃である。健常者は優先席には座るべきではないと主張する人に
「「優先」という日本語がわからない頭の悪い人だ」
などとバカにするケースもあるし、優先席に座る健常者に「優先席に座るな」「駄目だこいつは」などと批判するケースもある。車内で優先席を巡った怒鳴り合いや暴行事件が発生するのも攻撃の典型例である。
3番目の「投影」は相手に対する自分のネガティブな感情を認めずに、その感情を
「相手が自分に対して持っている」
と思い込むことである。
投影がコメント欄に直接書かれることは少ないが、感情的な書き込みの応報がエスカレートするのは、相手に対して攻撃的になっているのは自分なのに、相手が自分を攻撃していると思い込んでいるからだろう。
適応機制の多くは、半ば無意識的に働いてしまう。そして、自分の心を守るためには効果を発揮するが、根本的な解決にはならないので、多くの場合、いい争いの発生や孤立など、社会的にネガティブな結果をもたらしてしまう。
そして皮肉にも、このエネルギーが優先席に関する記事のアクセスを増やしたり、コメント欄をにぎわわせたりしている原動力になっているのかもしれない。