昭和~平成の「モテるクルマ」とは結局何だったのか? 日本が元気だったあの頃、人気車事情を振り返る

キーワード :
昭和の昔から自動車雑誌における定番ネタとして「モテるクルマとは何か」というのがあった。驚くべきことにそれは令和の今でも変わってはいない。

「モテるクルマ」とは何か

日産・セドリック/グロリアシーマ。初代(画像:Tennen-Gas)
日産・セドリック/グロリアシーマ。初代(画像:Tennen-Gas)

 昭和の昔から自動車雑誌における定番ネタとして「モテるクルマとは何か」というのがあった。驚くべきことにそれは令和の今でも変わってはいない。

 筆者(矢吹明紀、フリーランスモータージャーナリスト)はライターとしての最初のレギュラー執筆媒体は「ホリデーオート」(モーターマガジン社、2019年休刊)という若者向けの自動車雑誌だった。ゆえにモテるクルマをテーマにした記事の執筆や取材を多く手掛けてきた。

 年頃の女性を対象とした

「どんなクルマが好き?」

という街頭インタビューに至っては通算500人くらいに声を掛けたかもしれない。

 そしてその結果はどうだったのか。大抵の人は好きなクルマを何となく答えてはくれたのだが、基本的には

「好きな人が乗っているクルマ」
「好きな人と一緒に乗るクルマ」

というのが一番多かった。

 これは当然といえば当然の結果だった一方、そこには時代背景に沿ったある種の傾向があったのもまた事実である。

 ここからはわが日本にモータリゼーションが本格的に訪れてからの、主として若者文化の中での

・モテるクルマ
・モテそうなクルマ

すなわち人気車の歩みと傾向を振り返ってみたい。

全てのコメントを見る