昭和~平成の「モテるクルマ」とは結局何だったのか? 日本が元気だったあの頃、人気車事情を振り返る
- キーワード :
- 自動車
映画・テレビの大きな影響
1960年代初め、モータリゼーション初期の若者の間における人気車は、映画やテレビなどに登場したクルマたちだった。
【無料セミナー】「自動車DXサミット vol.3」 三菱ふそう KTC マツダ登壇 Amazonギフトカードプレゼント〈PR〉
1962(昭和37)年の日活映画、『憎いあンちくしょう』では、石原裕次郎とジープCJ-3B、浅丘ルリ子とジャガーXK-120がそれぞれ象徴的に描かれた。1966年のテレビドラマ『ウルトラQ』では、主人公の愛車としてプリンス・スカイラインスポーツ・コンバーチブルが登場し、番組に花を添えた。1968年の東宝映画、『狙撃』では加山雄三が当時発売されたばかりのトヨタ2000GTとともに画面を彩った。
同じ頃、市場ではトヨタ2000GT以外にも「GT」を名乗るクルマが若者の間で人気を集める。GTとは「グランツーリスモ」の略であり、本来は大陸横断的な長距離高速ドライブも難なくこなすことができる高性能車の意味だった。
最初に車名の一部として使われたのは1950年代のフェラーリ。その後、GTはレースカテゴリーのひとつとなり、同時に高性能車の代名詞的な存在となった。わが国における最初のGTは1964年に登場したいすゞ・ベレットGTである。
その後GTの名称はスカイラインGTやトヨタ1600GTなどにも波及し、若者人気を集めることとなる。もちろん実際に購入できたかどうかは別の話だったのだが。
GTに類似した呼称としては「SS」があった。
「スーパースポーツ」
を意味するこの呼称は、1961(昭和36)年のシボレー・インパラに端を発した後にわが国も含め世界中に波及した。ちなみに1950年代のアルファロメオにおけるSSは「スプリントスペチアーレ」の略称であり意味合いが少し異なっていた。わが国でSSとSSS(スーパースポーツセダン)を多用したのは日産ブルーバードである。
これらのクルマたちは、紛れもなく同時期の若者文化において人気のクルマとして注目された。何より、GTやスポーツといったモデルには
「運転がうまい」
「メカに強い」
というモテるイメージが付きものだったからである。