昭和~平成の「モテるクルマ」とは結局何だったのか? 日本が元気だったあの頃、人気車事情を振り返る

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昭和の昔から自動車雑誌における定番ネタとして「モテるクルマとは何か」というのがあった。驚くべきことにそれは令和の今でも変わってはいない。

「ハイソカー」ブーム到来

ハイソサエティのイメージ(画像:写真AC)
ハイソサエティのイメージ(画像:写真AC)

 この頃、雑誌のホリデーオートを発火点に「ハイソカー」ブームが起きる。「ハイソサエティ(上流社会)カー」の略であるこの和製英語が注目されるきっかけとなったのは、1984(昭和59)年に登場した

・70系トヨタ・マークII
・クレスタ
・チェイサー

の三兄弟車である。マークII三兄弟自体は70系の先代である1980年発売の60系から既に市場での人気車だった。

 スーパーホワイトと呼ばれていた白いボディカラーをまとったこれらは、本来はやや年齢が高い層での需要を想定していた。しかしそうしたメーカーの思惑を越え、瞬く間に市場での人気車となっていった。

 若者なのに白いセダンとは、いかにもミスマッチだった。しかしハイソカーの名の通り、オーナーに対してお金持ち&知的なイメージを抱くことができたのが人気の理由だった。こうした動きはバブル経済とともに活性化し、トヨタの場合だとクラウンやソアラといったさらに上級車へと若者人気は拡大していった。

 そしてそれにけん引されるかの様に他メーカーの上級モデルもまた若者の間での人気車となっていったのである。

「マークII三兄弟」の総販売台数

愛車「シーマ」に乗る伊藤かずえさん(画像:日産自動車日本マーケティング本部)
愛車「シーマ」に乗る伊藤かずえさん(画像:日産自動車日本マーケティング本部)

 70系マークII三兄弟がどれほど売れたのか。その数字は驚異的である。発売されていた1984年8月から1988年7月までの総販売台数は実に

「約115万台」

というもの。

 最終年度となった1988年には、マークII単体だけで年間20万台近くを売った。これはこの年の販売総合ランキング2位で1位は約27万台を売り上げたカローラだった。何の変哲もない4ドアセダン(実際には4ドアハードトップも含む)が年間20万台も売れる。今となっては信じられない現象が起きていたのがバブル前夜の日本だった。

 こうしたハイソカーブームはバブルが崩壊する1990年代初めまで継続。さらに上級モデルだったセルシオやシーマ人気を生むこととなる。

 ちなみに、初代シーマといえば女優の伊藤かずえさんが長年愛車として所有していることはよく知られている。近年、日産の手でフルレストアが行われたことはニュースとして大きく紹介された。

 1988年に初代が発売されたシーマを1966年生まれの伊藤かずえさんが購入したのは彼女がまだ22歳頃の時である。芸能人という特殊性があったとはいえ、22歳の若い女性をも引きつける魅力があった。そして時代にそれらを後押しする空気があったということである。

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