日本の「軽トラ」北米で大人気なワケ 小型実用車の強みが新たなビジネスチャンスを切り開く
主要メーカーの対応
その結果、市場からは「もっと快適なものを」という要求が出されることとなる。それに対して、ジョンディアやポラリスといった主要メーカーの対応はオーソドックスだった。
キャビンやドアを備えたピックアップトラックを小型化した様なモデルを市場に投入したのである。これらは従来型の価格が数千ドルだったのに対して、モデルによっては2万ドル以上もするという高価格商品になってしまった。すなわち、この時点で
・安価だが乗員の身体がむき出しの4輪バイク
・相応の耐候性はあるが高価格商品
という、極端なふたつしか選択肢がなくなってしまったのだ。
もちろん、安価な中古ピックアップという選択肢はそれこそ山ほどあった。だが使用現場的に、それらよりも
「小型であることが必須」
という場面は依然として存在していた。例えば、低い樹木の間を縫って収穫しなければいけない果樹園などでは、ピックアップでも大き過ぎる場面が多々あったのである。
小回りが利いてリーズナブル
一方、時代を少々さかのぼった1990年代以前。北米には日本の軽トラックがわずかながら輸出されていた。最初に輸出された時期は定かではないが、少なくとも1960年代半ばには輸出が開始されていた。
ただし、これらは保安基準不適合であったことから公道走行はできなかった。すなわちナンバープレート登録なしの構内専用車だったというわけだ。これらは台数も少なく極めてマイナーな存在だったが、クアッドが存在しなかった時代の現場では重宝に使われ、そして年月を経るとともにその役目を終えていった。
需要はあったが市場規模は小さく、ビジネスとしてのうま味も少なかったことから、後継モデルが補充されることもほとんどなかったといわれている。
そうした状況のなか、北米市場に登場した中古の軽トラックはある種と感動とともに迎え入れられた。
・小回りが利く
・キャビンは広くはないが冷暖房エアコンもある
・荷台は十分に広く積載量もある
・燃費もよく故障もしにくい
・四輪駆動モデルもある
その上、価格はコンディションが良いものであっても
「5000ドル程度」
とかなりリーズナブルだった。こうした点が人気を集め、新たな市場を形成することとなったのである。