ド派手な「風俗広告トラック」は街の風景か、単なる害悪か? 東京都の規制強化にちらつく役人の浅知恵、曖昧な規制は表現の自由を侵害する
規制強化の背後にあるもの

そもそも、広告宣伝車を迷惑に感じている住民・観光客がそんなにいるのだろうか。
渋滞の激しい東京で、交通の邪魔になるならわかるが、耳をふさぐような大音量で走行している広告宣伝車はまず見かけない。東京都は騒音に関する規制もシビアである。
第一、広告宣伝車が走っているのは、
「常に騒音だらけの繁華街」
である。住宅地をグルグル回っているのなら迷惑だが、そんなのは見たことがない。
では、なぜ今になって東京都は広告宣伝車の規制強化へかじを切ったのか。それはズバリ、都庁の役人が反対されることなく
「実績」
を積み上げられるからだ。
不道徳な風俗求人情報サイトを宣伝している広告宣伝車を東京から排除するといわれたとき、「待った」という人はどれだけいるだろうか。大抵の人は関心を持たないか、むしろ
「なぜ、今まで野放しになっていたのか」
と規制に賛同するだろう。
過去の出版騒動から学べ

この規制は、考え得る限りで列挙すると、
・規制対象が明確ではない
・規制基準が曖昧である
・条例によらず施行規則を利用し業界の自主規制を強制している
・対象、基準が曖昧なままの規制は言論/表現の自由を侵害する
と、問題だらけだ。
ここで思い出されるのは、2010(平成22)年に持ち上がった「東京都青少年健全育成条例」をめぐる騒動である。このときは、東京都が不健全図書指定についての条文を一部改定することをめぐり、出版業界から猛反発を受け、大きな反対運動が起こった。
詳細は省くが、最大の疑問は、特に新たな問題も発生していないにもかかわらず、なぜ条文を変える必要があるのか――というものだった。当時の都庁青少年課は言葉を弄(ろう)したが、必然性を説明することはできなかった。
結局、一度は否決された条例改正案は2度目の提出で可決されるにいたった。しばらくして、当の青少年課長が
「警察大学校に“栄転”した」
とき、出版業界はこの条例改定が持ち上がった理由を悟ったのである。
今回も同様のことが起こっている。「東京都青少年健全育成条例」のときは改定案に反対する人は「エロ本屋か」と非難されたが、広告宣伝車の規制に異論を唱えれば
「業者から幾らかもらってるのか」
と陰口をたたかれるだろう。
ともあれ、広告宣伝車を今規制することは東京の街にプラスにならない。その理由は、それ自体が風景としてなじんでいるからだ。日本が観光立国として成長しているなか、外国人観光客が東京に求めているのは、
「独特の猥雑(わいざつ)さ」
である。渋谷のスクランブル交差点で多くの外国人が記念写真を撮影しているのは、その象徴だ。いまさら定着したものに規制をかけても、都市の魅力を減退させるだけである。