オリエント急行「ロンドン~フランス」廃止で、ドーバー海峡はさらなる“分断の象徴”と化す?
4月中旬、オリエント急行が2024年以降ロンドン発着を取りやめるという報道がなされた。廃止が生む真の問題とは。
1883年に誕生したオリエント急行

オリエント急行の起源は、1883年に運行を開始した、パリとコンスタンティノープル(現在のイスタンブール)を結ぶ長距離夜行列車にあるといわれている。以降、鉄道旅行の衰退や路線の廃止など紆余(うよ)曲折を経て、現在はさまざまな運行会社により、主に東西ヨーロッパを結ぶ列車にオリエント急行という名前を冠して運行されている。
また、オリエント急行と聞くと、アガサ・クリスティの推理小説「オリエント急行殺人事件」を、思い浮かべる人も多いのではないだろうか。1934年に発表された推理小説が、オリエント急行という列車の存在を世に広く知らしめたとの評価もある。
今回報道されたVSOEは、1982年にロンドンとベネチアを結ぶ観光列車としてスタートし、現在はベルモンド社により運行されている。車両は、かつて使用されていた歴史ある車両を改装して利用している。ベルモンド社は、2019年にLVMHモエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン社に買収され、より国際的なラグジュアリー市場のリーダーとしての地位が強化されたとのことだ。
日本においても、1988年にフジテレビの開局30周年イベントとして、オリエント・エクスプレス’88が開催され、オリエント急行で使用されている車両が日本国内を走ったことがある。このイベントではVSOEの車両も使用され、東京行きとしてパリを出発した。
列車は、大陸を横断して香港へ向かい、香港から日本に渡り改造を受けた後、広島駅を出発して東京駅に到着した。イベント後には、日本国内でオリエント急行を利用した国内ツアーが開催されている。
このオリエント急行を利用した旅行ツアーは、車両設備といい、価格といい、現在の観光目的を主とした豪華寝台列車による鉄道旅行の先駆けともいえよう。