過積載で捕まるのは「ドライバー」ばかり! 確かに違反も、こんな状況を作ったのは誰だ? 荷主への警告形骸化に異を唱える
過積載は道路交通法違反(積載物重量制限超過)だが、基本的にはドライバーが罰則の対象者となる。再発を防ぐためにも、果たしてそれだけでいいのだろうか。
1992年に成田市で起きた悲劇

筆者(日野百草、ノンフィクション作家)はその「かつての現場」に足を向けた。
千葉県成田市滑川、県道103号(江戸崎下総線)の大菅跨線橋から細い道に入り、急坂を下りた先にその現場はあった。実に急勾配で道も狭く、ちょっとした谷のような感じである。
1992(平成4)年9月14日、JR成田線の久住駅と滑河駅の間にかつてあった「大菅踏切」で大型ダンプカーが遮断棒を折って進入、4両編成の113系と衝突して大破、脱線した。運転士は運転室内で押しつぶされて死亡、67人の乗客が負傷した。ダンプカーは過積載で定量の4倍の山砂を積んでいたため、この急坂にブレーキが利かず大惨事となった。
事故を受け、1998年に跨線橋ができたためにここを使うことはないのだろう。かつて踏切があった場所はガードレールが置かれ、フェンス、線路、フェンスの向こうに道があることがわずかに踏切の面影を残している。そして慰霊のために小さなお地蔵さまが祭られている。もう30年以上のときがたったが、花もたむけられ、ジュースや缶コーヒーが供えられていた。
跨線橋では今日も砂利や産廃のダンプカー、トレーラーが走っている。過積載では、という車両も見受けられる。過積載は道路を傷めてしまうだけでなく、これらのような大事故につながる。それでもドライバーは過積載の誘惑にかられてしまう。会社もまたドライバーに過積載を強いる。荷主もそうだ。砕石場や生コン工場、土砂や海砂、産廃など、過積載は令和の世になってもなくなる気配がない。