「東京港」「横浜港」はいかに発展したのか? 意外と知らない、日本近代の歴史をひも解く

キーワード :
, ,
かつて港は物流の中心であり、外国への玄関口だった。横浜港と東京港は歴史のなかでどのように発展してきたのか、ご存じか。

1941年、横浜・東京両港統合の港誕生

稲吉晃『港町巡礼』(画像:吉田書店)
稲吉晃『港町巡礼』(画像:吉田書店)

 次に東京市は万博の誘致を考える。会期は1940(昭和15)年3~8月、第1会場を月島(現在の晴海・豊洲)、第2会場を横浜の新しい埋め立て地(現在の山下公園)とする計画である。さらに、東京市は同時並行的に1940年に開かれる予定の第12回オリンピックの誘致も検討していた。

 最終的には神宮外苑をメイン会場とした計画になるが、東京市には持て余している大規模な埋め立て地の利用のために大規模イベントを利用したという考えがあった。

 1930年代は日本政府も国際観光を国策として位置づけており、1930年4月に鉄道省の外局として国際観光局が整備され、翌年には国立公園法が制定されるなど、外国人観光客の誘致は日本の外貨獲得の柱として期待されていたのだ。

 結局、東京オリンピックは日中戦争の発生と長期化によって返上となり、日本は国際的な孤立の道を深めた。アメリカとの関係悪化とともに北米貿易が中心だった横浜港の地位は低下し、代わって重化学工業地帯を抱える東京の地位が上がっていくことになる。

 1941年5月、横浜・東京両港を統合した京浜港が誕生し、その一部として東京の開港(貿易港化)が実現した。

 そして時は流れ、オリンピックと絡めた臨海部の開発は2021年に開かれた東京オリンピックである程度実現したといえるだろう。晴海の選手村をはじめとして、さまざまな施設が臨海部の埋め立て地につくられ、東京は海に向けてさらに広がった。

 このように本書は港町の歴史を通じて日本近代史がたどれる内容になっている。海運と港町が歴史で果たした大きな役割を実感できる1冊である。

全てのコメントを見る