東海道新幹線「倉見新駅」への高まる疑念! 膨大な建設費と開き過ぎた平塚・寒川のテンション、そもそも相模線複線化どうするのか
新駅候補地を巡る自治体の攻防
まず、これまでの誘致の経緯を振り返ってみよう。
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神奈川県に東海道新幹線の新駅を誘致する計画は、すでに半世紀前からあった。
1970(昭和45)年、神奈川県議らにより「倉見駅設置に関する請願」が衆議院に提出され、採択されている。しかし請願はまったく具体化せず、当時の佐藤栄作首相から衆議院議長宛てに設置困難と報告されて、あっけなく終わった。
続いて、1971年には綾瀬町(現綾瀬市、1978年市制施行)が、同町の落合地区に新駅を求める要望を県知事に提出するもやはり具体化はしなかった。
早期から県内新駅が要望されながらも実現しなかったのは、どこに新駅を誘致するかで意見がわかれたからだ。
綾瀬市落合地区のほか、候補地として平塚・厚木・伊勢原の三市は平塚市大神地区を要望。藤沢市・寒川町などは寒川町倉見地区を推し、まとまらなかった。
相模川の西か東かを、どちらも譲らなかったのである。結果、東海道・山陽新幹線に多くの新駅が開業した1988年(新富士・掛川・三河安城・新尾道・東広島駅が開業)にも、神奈川県内には新駅が生まれることはなかった。
候補地が一本化されたワケ
候補地が一本化されたのは、岡崎洋県知事時代の1997(平成9)年11月だった。岡崎県知事は、JR相模線と交差する寒川町倉見地区であれば、多くの県民が利用できるとして一本化を推進した。
このとき、倉見地区を推す理由として掲げられたのが相模川に新しい橋をかけ、両岸にあたる寒川町と平塚市を、ひとつのエリアとして都市計画を進める「ツインシティ構想」だ。
この都市計画に加えて、新駅が倉見地区にできれば相模線の複線化も実現可能性が高まり、ひいては当時未定だったリニア中央新幹線の相模原市内への駅誘致にもはずみがつくとして、支持された。
改めて記述すると、構想のポイントは2点である。
・寒川町倉見地区に東海道新幹線新駅を建設する
・相模川を挟んで寒川町倉見地区と平塚市大神地区の間に新橋を架橋し、両岸を「双子の新たなまち」として街づくりをおこなう
ところが、このどちらも達成はできていない。構想から26年を経てようやく実現したのは、平塚市側のみの街づくりだ。
ただ、平塚市側でもこの計画には反対の声が多く、土地区画整理組合の設立申請が認可されたのは2015年だった。この時点でも地権者の2割が同意していなかった。
この困難を経て、2023年1月には平塚市側の「まちびらき」記念式典が開催された。