ホンダジェットが5年連続で「小型ジェット機」トップの納入台数を達成できたワケ

キーワード :
, ,
ホンダジェットは6年連続となる小型ジェット機カテゴリートップのデリバリー数を達成できなかった。2月23日のAir Data Newsが報じた。

6年連続トップならず

ホンダジェット(画像:J.ハイド)
ホンダジェット(画像:J.ハイド)

 ホンダジェットは6年連続となる小型ジェット機カテゴリートップのデリバリー(納入)数を達成できなかった。2月23日のAir Data Newsが報じた。

 2022年まで5年連続トップであり、多くのメデイアがその偉業を称えた。開発体制の主力が北米だったために

・三菱スペースジェット(MSJ)と違って型式認可がスムーズだった
・コロナ禍のために超軽量ジェット(VLJ)市場が好調だった

など、さまざまな好条件が重なったのだと当時報じられている。

 しかし、このような高度なモノづくりの成功の背景として忘れてはならない要因がある。それは多くの場合に、開発者の「人生そのもの」といえる年月を要していることではないだろうか。

 日本発の世界的な実用旅客機といえば、戦後の高度成長期に開発されたYS-11を第一に上げなければならない。三菱重工からはゼロ戦の開発者として名高い堀越二郎技師、そして戦前の中島飛行機を前身とする富士重工業の太田稔など、大戦時に世界が注目した軍用機を開発した航空業界のスーパースターたち、通称「5人のサムライ」が、そのプロジェクトに集結した。

 おそらく、そのようなプライドの高い技術者をまとめ上げるのは並大抵ではなく、案の定「5人のサムライ」は実機製作には携わらないという宣言に至ったのだろう。またアメリカの審査機関、連邦航空局(FAA)の承認を、敗戦国のため長年航空機開発を認められなかった日本が取得するのは相当難しいのでは、と懸念された。

 そのため、実際に1960(昭和35)年からYS-11の実機制作を担当したのは、新たに起業された日本航空機製造であり、そこに出向となった三菱重工の東條輝雄である。

全てのコメントを見る