日本海軍からの民需転換 米国農場で発見された「国産軽トラ」の正体
北米市場での人気が高まる日本の軽自動車。その系譜をさかのぼると、かつて日本海軍向け航空機用エンジンの生産に携わったメーカーによる「コニー」という車種に行き当たった。
ミネソタ州で見た左ハンドルの軽トラ
一方、今回紹介するのは北米はもとより日本国内でもめったに見掛けることがなくなったマイナーな軽トラックである。
その名はコニー・ワイド。かつて愛知機械工業という会社が生産販売していたモデルである。
遭遇した場所は、アメリカ中北部のミネソタ州ミネアポリス郊外のとある農場。近年に中古車として北米に持ち込まれた日本仕様ではなく、紛れもない左ハンドルの輸出仕様。
年式はおそらく最終生産型に近い1970年頃。ナンバープレートはなく、農場内の構内専用車として使われていると思われる1台だった。
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愛知機械工業の母体となったのは、明治時代に創業した愛知時計製造という精密機器会社だった。
この会社は、優れた基礎設計および製造技術を持っていたことから、早い時期に日本海軍の依頼を受けて軍需産業へと進出。大正時代には早くも航空機製造へと進出し、主として日本海軍航空隊向けの第一線機および航空機用エンジンの生産に携わった。
この間、社名は愛知時計電機へと変わり、後に航空機部門は愛知航空機として独立。太平洋戦争終結後、民需に転換した際に社名が愛知機械工業となった。
戦後の愛知機械工業の民需転換はまず、「ヂャイアント」のブランドとともに中京地区でオート三輪を製造販売していたヂャイアントナカノモータースにルーツを持つオート三輪の製造販売権を、直前の権利者だった帝国精機産業から入手することからスタートした。