ロータリーエンジンは「マツダ」だけじゃなかった! とある独メーカーが社運を賭けた「奇跡の1台」とは
マツダの代名詞的存在だった「ロータリー・エンジン」。その誕生の歴史は、昭和30年代までさかのぼる。
昭和30年代、独メーカーNSUが試作機

繭(まゆ)型のハウジングの中を三角おむすび形のローターが回転することで動力を発生する「ヴァンケル・ロータリーエンジン」は、ドイツの技術者であるフェリクス・ヴァンケルの設計案に対して同じドイツの自動車メーカーであるNSUが注目。両者の共同開発でプロジェクトがスタートした。
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最初の試作機が完成したのは1957(昭和32)年頃と言われているが、試作機の存在が正式に発表されたのは1959年のことである。ほどなくして、その先進性と独自性に世界中の多くのメーカーが注目。本家のNSUを含めた複数のメーカーによって、商品化に向けて動き出すこととなった。
それらの中で最も熱心だったのが、わが日本の東洋工業(現マツダ)だった。1960年という早いタイミングでのライセンス契約をへて実用機種の開発に着手。最初の量産機である10A型を通じて1967年にマツダ・コスモスポーツとして市販化にこぎつけた。
その後もマツダは熱心にロータリーエンジン車の開発を継続した。
もちろんその道は順風満帆だったというわけではない。当初はエンジンの耐久性の問題、燃費の悪さ、オイル消費の多さといった問題に悩まされたものの、時間を掛けてこうした問題をひとつひとつ改善し、その完成度を高めていくこととなる。
以来、ヴァンケル・ロータリーエンジンは1970年代から2010年代初めまでというもの、マツダのフラッグシップカーにとって必要不可欠かつマツダの代名詞的存在のエンジンとなっていった。
一方、ヴァンケル・ロータリーエンジンのルーツというべき、NSUでの状況はどうだったのだろうか?