いすゞ自動車の「いすゞ」とは何か? 戦前から日本を支えた名門トラックメーカーの感動物語をたどる
トラックやバスの名門メーカーいすゞ。1930年代以降、名車の系譜を築きながら日本の経済や国力を支え続けたその歴史に迫る。
終戦直後に登場した新型5トントラック

この系列からは三軸後輪二軸駆動としたTU20、二軸ながら最大積載量を7トンとしたTB60などが派生し、前者は一式六輪自動貨車、後者は二式四輪自動貨車として陸軍の制式採用となった。
なお、TX80も一式四輪自動貨車として陸軍の制式採用となるなど、その性能は優れていた一方で、太平洋戦争の終結とともに民間型は一時生産中止となった。
1946(昭和21)年、戦後の混乱期の中で荒廃した国内輸送の復活における新しい担い手としてTX80が復活することとなる。
終戦後間もない時期、日本国内を走っていたトラックは粗末な木製キャブにシングルヘッドライトの粗製乱造というべき戦時型、木炭ガスを燃料とした非力な代燃車などが大半で非常に心許ない状態。
そうした中で登場した新型の5トン積みトラックは、市場から多大な期待とともに歓迎された。
TX80はガソリンエンジンだったが、翌1947(昭和22)年にはトルクのあるディーゼルエンジンに換装し、最大積載量も6トンにアップしたTX61が登場。ランニングコストの低減と輸送力のアップを実現したことで、急激に普及していくこととなった。
ヂーゼル自動車工業がいすゞ自動車に社名を変更したのは1949(昭和24)年のことであり、翌年に起こった朝鮮戦争の特需で国内の重工業が急成長したことを受けて、物流の担い手というべきトラックはその生産台数が大幅に増加することとなった。