いすゞ自動車の「いすゞ」とは何か? 戦前から日本を支えた名門トラックメーカーの感動物語をたどる
トラックやバスの名門メーカーいすゞ。1930年代以降、名車の系譜を築きながら日本の経済や国力を支え続けたその歴史に迫る。
日本トラック信頼向上へ 国策の開発事業
そうした中でも石川島自動車製作所、ダット自動車製造、東京瓦斯電気工業の3社は、何とか自動車製造業にとどまっていたものの、その経営はアメリカ勢の大躍進の前にまさに風前の灯火だったことは否めなかった。
この問題に対して日本政府は、商工省を中心に国産自動車工業確立委員会を設立する。
目的は国産トラックの信頼性向上である。ここで前述の3社のトラックを調査した結果、3社が共同で統一規格のトラックを開発、これを商工省標準形式自動車として優遇し量産を進めることが、国産車振興に役立つに違いないという結論に達した。
ここで完成したトラックが、昭和8年(1933年)に完成したTX40(最大積載量2トン)とTX35(最大積載量1.5トン、ただし不正路面の走行を想定したフレーム強化型)であり、後に五十鈴川に由来する「いすゞ」という愛称が付けられることとなった。
また石川島自動車製作所とダット自動車製造はほどなくして合併し、自動車工業(社名)となり、東京瓦斯電気工業と業務提携した協同国産自動車をへて、最終的には東京瓦斯電気工業も合併した東京自動車工業となった。
なおこの会社は、紆余(うよ)曲折をへて現在のいすゞ自動車と日野自動車の母体ともなった。
東京自動車工業はいすゞTXシリーズを自社の主力生産モデルと位置づけ、全てのパーツを国産とすると同時に、その完成度を高めるため地道な改良に勤しむこととなった。