東海道新幹線の停電事故 現場大混乱も4時間で復旧、洗練された緊急対応は「2010年代」からだった!
東海道新幹線の停電事故が12月18日、発生した。東京~新大阪間では最大4時間の運転見合わせとなり、74本が運休、114本が最大4時間28分遅れるなど、約11万人に影響が出た。過去同様の件について振り返る。
立ち往生が当たり前の時代

前述の1986(昭和61)年のケースで、
「深夜に臨時列車を運行する」
という措置を取っているのも、現在のように乗客がスマートフォンを持っていないため情報を得られず、駅員も「遅れているが接続は間に合う」と案内。その後、深夜になって到着した乗客が駅に滞留したためと考えられる。
1994(平成6)年のケースでは、多くの新幹線の遅れが2時間以内だったため、特急券の払い戻しは行われなかったが、東北・上越・山形新幹線などに乗り継ぐ客が最終列車に間に合わず、東京駅で立ち往生する結果となった。
これを報じた記事には
「京都駅で駅員が間に合うと言ったから乗ったのに、だめだった」
という乗客の証言も書かれており、JRも現在ほど緊急時の乗客への対応が洗練されていなかったことがわかる。
緊急対応の発展は2010年代から

緊急時の対応がより発展したのは、2010年代に入ってからだ。
2010(平成22)年1月29日には、東海道新幹線で部品交換の際にボルトをつけ忘れたのが原因でパンダグラフが外れ、架線が切れる事故が起きている(神奈川県横浜市)。このとき、当初乗客に対して
「沿線火災で架線が切れた」
との案内が行われたため、パンダグラフの落下が原因とわかると
「わざとウソの情報を流したのか」
などの苦情が、JR東海と国土交通省に殺到した。
これを受けてJR東海は、トラブル発生時、各部署(指令)に臨時の情報責任者を設置。情報を集約した後に、旅客指令を通じて列車や駅に情報を伝えることを明確化している。現在は在来線でも運転見合わせの際、事故内容や復旧見通しなどを細かくアナウンスすることが多いが、それはこうした情報の集約と役割分担が明確になったからだ。
ただ、どんなに対策しても、今回のようにトラブルや混乱は必ず起こる。利用者にもそんな心構えが必要だ。