多摩ニュータウンと田園都市 よく似た場所なのに、片方だけが「人気エリア」になった理由

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会社員の父と主婦の母。そんな「近代家族」の形成は、近代化が進んだ世界各国で見られる。しかし、それと電鉄の多角経営が結びついた例は日本以外に類を見ない。現代日本人の「幸せ」や「豊かさ」に、鉄道会社はどのような影響を及ぼしてきたのだろうか。

今なお人々が「幸せ」モデルに従う理由

郊外の一戸建てのイメージ(画像:写真AC)
郊外の一戸建てのイメージ(画像:写真AC)

 さて、駆け足で見てきたが、「郊外に一戸建ての住宅を持ち、豊かな消費生活を送り、家族で健全な娯楽を楽しむ」といういかにもな「幸せ」のモデルは、日本では電鉄とともにあったといえる。

 これは「幸せ」「豊かさ」を求める国民の欲望にマッチしていたし、政策を打ち出しても実施はあなた任せにする政府にとっても都合がよかった上に、電鉄事業者自身も利益を得ることができた。

 このモデルの原型を創り出した小林一三は、生まれて間もなく母を喪い、入り婿だった父は実家に帰ってしまって、大叔父に育てられたことがコンプレックスだったようである。幼時に家族の幸せを得られなかった小林が、その幸せを理想視して、親子の情愛を強調する近代家族を日本に広めるのに一役買ったというのは、決して牽強付会(けんきょうふかい)ではないと思うのである。

 そしてこのモデルは、バブル崩壊後にだいぶ色あせながらも、いまだにそれに代わる「幸せ」像が形成されたとは言いがたい。私たちはいまだに小林が描いた幸福像から抜けきっていないし、抜けていない間は、たとえコロナ禍でテレワークが増えたとしても、大手私鉄が都市構造の一角を担う体制は変わらないだろう。

 もっとも、そのモデルが本当に「幸せ」なのかは、疑問の声も絶えずあった。

 前出の西川氏はいみじくもこう述べている。

「じつは日本の近代小説は、家を建てたら幸せになると思ったのに不幸ばかりおこりました、という話がほとんどなのである」(『借家と持ち家の文学史』)

 郊外に家を建てて近代家族を形成したからといって、「幸せ」になれるとは限らない。だから売り物ではなく自分だけの「幸せ」を見つけましょう――では答えにならない。それが難しいから皆内心怪しいと思っても、「幸せ」モデルに従うのだ。

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