多摩ニュータウンと田園都市 よく似た場所なのに、片方だけが「人気エリア」になった理由
近代家族を形成した、鉄道会社の多角経営

前回記事では、「幸せ」のイメージをパッケージングする百貨店の商法を始めたのは19世紀フランスの商人アリステッド・ブーシコー(1810~1877)であり、また現代日本における「幸せ」の標準イメージを演出したのは、阪急電鉄グループの実質的創業者である小林一三(1873~1957)ではないかと紹介した。
近代家族の形成自体は、近代化が進んだ世界各国で見られるものであるが、それと電鉄の多角経営が結びついた例は日本の他にないようである。
アメリカでは電車は自動車に駆逐されてしまい、ヨーロッパでは都市交通は多くの場合公営化されて企業的な多角経営をいとなむに至らなかった。多角経営の大規模な私鉄が大都市圏に複数存在し、郊外形成のキーとなっているのは日本ならではの特徴的な都市の構造なのである。
ただし、注意しなければならないのは、小林の活躍した戦前・戦中までは、阪急モデルはまだ一部の突出した例だったということである。人口の半分はなお農村におり、農民が「普通の人」であった。小林の築いたモデルが全面展開するのは戦後のことになる。
戦争は日本の都市化と近代家族の発展からすれば長い回り道であったが、戦後の高度成長期にそれは一気に全面化した。それまでの農村の「イエ」に代わって、都市の近代家族が「普通の人」となったのである。
この過程には、もちろん住宅公団や住宅金融公庫など政策の後押しもあったが、戦前はまだ限定的なモデルだった電鉄の多角経営がほぼ全社に伝わり、各社とも沿線郊外で分譲住宅を、ターミナルでデパートを経営したこともまた、この変化を支えたのである。
この変化はきわめて急速なものであった。文学・ジェンダー研究者の西川祐子氏はこう述べている。
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日本型近代家族の第2の特徴は、家族モデルが学校やジャーナリズムという国民教育装置によって急速かつ徹底的に浸透したことである。国民はモデルチェンジを積極的にうけいれ、そのたびにモデルを現実に実現しようとして血の出るような努力を繰り返したのであった。
基本的には政府主導でモデルを強制するのであるが、住宅政策や家族計画の政策にみられるように、実施は国民の自主性にまかせる形がとられた。そして国民は期待を越える熱意をもってモデルを追いかけたのであった。
(「日本型近代家族と住まいの変遷」)
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