多摩ニュータウンと田園都市 よく似た場所なのに、片方だけが「人気エリア」になった理由

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会社員の父と主婦の母。そんな「近代家族」の形成は、近代化が進んだ世界各国で見られる。しかし、それと電鉄の多角経営が結びついた例は日本以外に類を見ない。現代日本人の「幸せ」や「豊かさ」に、鉄道会社はどのような影響を及ぼしてきたのだろうか。

鉄道企業のモデルが受け入れられた好例

田園都市線のイメージ(画像:写真AC)
田園都市線のイメージ(画像:写真AC)

 ここでの「国民教育装置」に、電鉄企業も含めて考えてよいだろう。国民がモデルを受け入れようと努力するとき、モデル一式を売り出した電鉄の存在は大きな助けになったと言えるし、またそれは電鉄にとっても大きなビジネスチャンスだった。

 両者は相互依存関係にあったといえ、これは大ざっぱな官による開発よりきめ細かな対応で、高度成長期の都市化を支えたのである。

 その好例は東京の西にある。

 阪急モデルを小林から忠実に学んだ五島慶太創立の東急電鉄は、1960年代から東京西南の横浜市と川崎市にまたがる丘陵で大規模な多摩田園都市の開発を始めた。同じ頃、住宅公団と東京都によってやはり東京の西で始められたのが、多摩ニュータウン開発であった。

 両者はどちらも30~40万人規模の人口を収容することを想定した計画だった。しかし多摩ニュータウンは人口20万人で開発打ち切りとなったのに対し、東急の多摩田園都市は人気の住宅地となって人口は60万人を超えた。

 鉄道を軸に、電鉄会社が各種サービスを提供するモデルは、確かに「幸せ」を印象付けて人々を引き付けたのである。

 これはまた、言い換えれば本来は政治が担うべき発展する都市の整備を、電鉄会社が肩代わりしたということでもある。

 高度成長期の輸送力の増強は基本的に電鉄事業者の自己投資で行われたが、多角経営の電鉄はその費用を自分で何とかまかなえた(そして輸送力不足の最後のしわ寄せは、通勤者が満員電車に耐えることで乗り切られた)。

 その分政府は「小さな政府」で済み、また発展から取り残される地方への投資をすることができたが、いっぽう借金で輸送力増強をした国鉄は経営破綻したのである。

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