長野「公園廃止問題」を炎上させる感情的な人たち 「老人クレーマーvs子育て世代」という単純な図式を捨て、まずは公園の歴史を学べ
歩行者専用道路と公園を一体化した東久留米市

関東大震災後に開設された大公園には大規模災害に備えるという役割が含まれていたから、政府が整備することが妥当だろう。しかし、近隣住民の憩いの場として公園を整備するなら基礎自治体である市区町村が所管することが望ましい。そうした役割の違いから、公園を所管する部署が多岐に分かれていく。
ちなみに、一般的に国が所管する公園と聞くと、多くの人たちは国土交通省の管轄下にあると考えるだろう。しかし、皇居外苑・新宿御苑(ぎょえん)・京都御苑といったオープンスペースは環境省の管轄下にある。
ほかにも緑地保全という目的から農林水産省(林野庁)、城などの歴史的施設の跡地を継承する意味合いから文部科学省(文化庁)、国民の健康増進の場として活用する意図から厚生労働省なども公園行政と関与している。
こうした流れを見ていくだけでも公園行政は複雑であることを理解してもらえるが、戦後はさらに公園行政が複雑化していった。出生数の増加や都市化といった社会現象も後押しして、主に都市部で公園が不足した。
東京都は戦災で焼け野原と化してこともあり、住宅や道路といったインフラ整備が優先された。公園の復興は後回しにされる。こうした事態から、子どもたちの遊び場は不足した。それは戦災復興が一段落した1960年代に時代が移っても改善しなかった。
厚労省(現・厚生労働省)は公園整備の財源を補うため、国民年金を活用することを模索する。こうした政府の後押しもあり、1960年代後半に入ってからは公園不足を解消しようと動く自治体も増えてくる。
1966(昭和41)年、東京都久留米町(現・東久留米市)は歩行者専用道路と公園を一体化する政策に着手。これは公園用地を捻出できないために、道路で代替するという苦肉の策だった。しかし、公園用地を捻出できないのは、どこの自治体でも悩みの種になっており。同年には東京都が遊び場対策本部を設置。都有地を一時的に開放し、遊び場の確保に努めた。
翌年には、兵庫県神戸市も公有地を一時的に子どもの遊び場へと開放。さらに1970年には政府交通対策本部が「子どもの遊び場確保のための当面の措置についての申し合わせ」を各自治体に通達した。これが、道路を遊び場として活用することを加速させた。
同年、北海道旭川市は道路を開放して遊び場として活用する「ちびっこ道路」を創設。翌年には東京都大田区がこどもの遊び場道路設置促進要綱を制定して、区内の道路に87か所の遊び場を開設した。大田区の道路に遊び場を設ける試みは、約10年間で237か所にまで増設された。1974年には札幌市が「子供天国」と命名した道路の遊び場を開設していく。
公園用地を捻出できないから道路を遊び場として活用した背景には、マイカーが少なかったという社会環境もあるだろう。