観光都市のシンボル「オープントップバス」 昭和時代は“乗客ゴミ投げトラブル”で3年消滅、知られざる苦難の歴史と未来の可能性とは
ヨーロッパでは1920年代に登場
新型コロナウイルスの水際対策の大幅緩和から、間もなく2か月が経過する。入国数の上限撤廃、インバウンドの個人旅行解禁で、ほぼコロナ禍以前の状態に戻っており、都内では彼らの姿をよく見かけるようになった。
というわけで、観光産業はようやく息を吹き返しつつあるが、そうしたなかで脚光を浴びそうなのがオープントップバスだ。オープントップバスとは
「バスの屋根(トップ)部分を取り払い、開放感と眺望を確保したバス」
のことだ。世界的な誕生時期は明らかではないものの、ヨーロッパでは1920年代から既に存在していたようだ。2階建てバスを改造したものがメジャーで、
・定期観光バス
・貸し切りバス
として、さまざまな観光都市で走っている。
とりわけ定期観光バスについては、大半のバスがあらかじめ決まったコースを周遊しており、料金を一度支払ってしまえば、当日は乗り降り自由になっている。そのため、都市の名所を多く巡ろうとするなら、最も効率のよい手段といえる。2階建てのオープントップバスの定期観光バスは、もはや観光都市の“象徴”なのかもしれない。
日本でインバウンド需要が意識されるようになってから、存在が認知されるようになったオープントップバスだが、屋根を取り払ったバスを観光客向けに運行する試みは昭和の頃から存在していた。
日本国内で最も早い時期にオープントップバスを導入したのは、はとバス(東京都大田区)だった(2階建てではない)。同社は1965(昭和40)年7月、「オープンバス」の名で導入し、高速道路をルートに含めた「新東京ドライブコース」の運行を開始している。
前年は東京五輪が開催され、首都高速が整備されるなど、東京が一段と開発された年だった。そうした街の風を感じる手段として、屋根のないバスが導入されたのである。この当時、日本は外貨獲得策として、インバウンド増加に熱心に努めていた。1963年には観光基本法が成立し、海外での観光客誘致や宿泊施設の整備が格段としている。そうした
「戦後初のインバウンド需要拡大」
の風潮のなかで、このアイデアは生まれたようだ。