観光都市のシンボル「オープントップバス」 昭和時代は“乗客ゴミ投げトラブル”で3年消滅、知られざる苦難の歴史と未来の可能性とは
3年あまりで終了したワケ

オープンバスの車両は、川崎航空機工業(現・ジェイ・バス)が1958(昭和33)年に製造したものを改造しており、「走るパーラー」とも呼ばれた豪華車両だった。冷暖房や回転椅子を完備した、当時では最先端の設備を備えていた。そんな第一線の車両を改造して投入したことからも、オープンバスが大いに期待されていたのがわかる。
ところが、このバスを使った観光コースはわずか3年あまりで終了した。なぜなら、
・乗客の帽子が走行中に飛ばされる
・乗客の投げたゴミが道路に舞う
などの問題が多発したためだった。また、既存車両の屋根を取り外しただけだったので、雨が降ったら車内は水浸しになった。車両法上の問題もあった。当時の資料を見ると、走行中の車内で客が歩き回っている。結局のところ、話題性は高かったものの、安全面で懸念が多かったのだろう。
現在、都内を運行しているオープントップバスを見ると乗客がゴミを投げ捨てるというのも想像し難いが、当時はごく当たり前に行われていた。東京でゴミをゴミ箱に捨てる習慣が根付いたのは、1954年に東京都が「街をきれいにする運動」を始めて以降のことである。それでも、交通機関で車内にゴミを放置する習慣は1990年代まで続いている。おそらくは、日本人観光客が車内で出たゴミを当たり前に投げ捨てていたのだろう。つまり現在、オープントップバスが定着している背景には内外の観光客に、ゴミはゴミ箱に捨てるというマナーが根付いたことも重要な要素といえる。
こうして、わずかな期間で消滅したオープントップバスだが、観光に役立つと考える人はその後も存在した。
1980年代には、横浜市交通局が桜木町駅~元町入口間で「チープントップ」の名で運行している。地元の商店会「元町SS会」が発案、実施したもので、車両はイギリスから輸入した。これが日本初となる2階建てのオープントップバスの定期運行事例だが、運行時期などの明確な資料は見当たらなかった。
なお、1990年代になってオープンカフェが日本で普及している。
「露天であることの心地よさ」
はこの頃、なおいっそう一般化したのかもしれない。