野岩鉄道は今が正念場? クラファン2000万円獲得も 「リバティ会津」との関係が気がかりだ

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“日光・鬼怒川・会津方面の顔”として一時代を築き上げた6050系だが、老朽化や運転体系の変更もあり、東武と会津鉄道の所属車は2022年3月12日のダイヤ改正で定期運用を終了している。

6050系の歴史

野岩鉄道唯一の生え抜き車両、61103編成はクラウドファンディングにより、ジョイフルトレイン化される(画像:岸田法眼)
野岩鉄道唯一の生え抜き車両、61103編成はクラウドファンディングにより、ジョイフルトレイン化される(画像:岸田法眼)

 6050系は東武鉄道(以下、東武)が開発した車両で、1985(昭和60)年10月に登場した。当時、浅草~東武日光・新藤原間の快速は6000系が務めていたが、冷房装置がないこと、1964年の登場から20年経過し、車体の老朽化とサービス面が課題となっていた。

 快速は1986年10月9日開業の野岩鉄道会津鬼怒川線に直通することから、東武は車両の更新を決断した。6000系の台車や制御装置などは老朽化の域に達しておらず、引き続き使用。車体は冷房装置の搭載といったグレードアップ、不燃や難燃の強化を図ったものに置き換えた。これを「車体更新車」という。

 6000系の生まれ変わりとなった6050系は、わずか1年で車体更新を完了しなければならない。そこで東武は快速車両を充足させるべく、車体や走行機器類をすべて新製したものにそろえた「完全新製車」を2編成投入した。

 野岩鉄道の開業を控えた1986年8月から9月にかけて、完全新製車の2編成が野岩鉄道に移籍。10月9日に開業すると、東京から会津方面への新ルートとして注目され、連日大盛況。当時は終点会津高原(現・会津高原尾瀬口)で国鉄会津線(現・会津鉄道会津線)に接続し、会津若松方面へ向かう人々でにぎわい、赤字ローカル線が息を吹き返す。

 1988年には輸送力増強の一環として、東武、野岩鉄道とも完全新製車を増備。1990(平成2)年には会津鉄道会津高原~会津田島間の電化に備え、東武は完全新製車も増備。程なく会津鉄道に移籍となった。

 いずれの所属車も東武の南栗橋車両管区新栃木出張所に配属され、車両運用も東武主導で進められた。

 6050系は“日光・鬼怒川・会津方面の顔”として一時代を築き上げたが、老朽化や運転体系の変更もあり、東武と会津鉄道の所属車は2022年3月12日のダイヤ改正で定期運用を終了した。

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