意外と知らない? 「海水浴」を夏の定番レジャーにしたのは、鉄道会社だった!
列車の運行に熱心だった京急

こうした海水浴客を巡る鉄道会社の競争は、全国各地で起きている。大阪圏では、南海鉄道(現・南海電鉄)と阪和電鉄(現・JR阪和線)が浜寺海岸の海水浴客を巡って熾烈な競争を演じていた。
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これら鉄道会社間の競争は、割引切符の販売などが盛んにおこなわれたほか、海水浴場も多くの利用者を見込んでサービスの向上・多角化に取り組んでいる。くしくも、鉄道会社の競争が海水浴という文化をより大衆化させ、育てていった。
海水浴を巡る鉄道会社間の争いは、日中戦争が始まる頃に一時的に沈静化する。再び海水浴需要が盛り上がりを見せるのは、戦災復興が一段落する1950年代後半からだ。
需要が増加する兆しを受け、多くの鉄道会社が海水浴利用者を取り込もうとして夏季に臨時列車を運行。しかし、1960年代から少しずつ海への移動手段は鉄道から自動車へとシフトしていった。それでも鉄道会社はサービスの充実などに努めて、海水浴客を取り込もうとサービスの充実に努めた。
特に、京急は湘南エリアに路線網を有するだけあり、海水浴客を対象とした列車の運行に熱心だった。京急は都営地下鉄と相互乗り入れをしていたが、地下鉄側のホームは短く6両編成に対応できない。しかし、京急は切り離し作業の手間を省略するため、押上駅まで地下鉄との直通運転列車は8両で運行していた。これは夏季限定の措置だけに、京急が海水浴客の利用者に配慮していたことがうかがえる。
1980年代に入ると自動車に主役を譲ることになるが、それでも鉄道各社は海水浴客のために臨時列車を運行。最盛期ほどではないにしても、現在も夏季に臨時列車を運行するなど鉄道による海水浴客輸送は続けられている。
こうした歴史的な流れを見ても、海水浴という文化は鉄道が育ててきたといっても過言ではない。