意外と知らない? 「海水浴」を夏の定番レジャーにしたのは、鉄道会社だった!

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夏の定番である海水浴。そんな文化だが、実は鉄道が育ててきたといっても過言ではない。歴史をたどる。

かつて「潮湯治」と呼ばれた海水浴

片瀬西浜・鵠沼海水浴場(画像:写真AC)
片瀬西浜・鵠沼海水浴場(画像:写真AC)

 2022年は空梅雨となり、梅雨明け宣言は早かった。7月から猛暑が続き、各地の海水浴場は大にぎわい……といいたいところだが、残念ながら新型コロナウイルスの第7波となり、海水浴を控えるような傾向も見られる。

 海水浴は江戸時代から親しまれてきたが、現在のレジャーのような行為ではなかった。明治10年代まで海水浴は潮湯治(しおとうじ)と呼ばれ、当時は心身の鍛錬や療養を目的にしていた。そのため、海辺の近くにある宿に長期間滞在する必要があった。

 長期間のバカンスを謳歌(おうか)できる庶民は少なく、潮湯治は富裕層特有の生活スタイルでもあった。そうした潮湯治のしきたりは、鉄道の開業によって変化する。

 1872(明治5)年、新橋(現・汐留)駅~横浜(現・桜木町)駅間に鉄道が開業。鉄道は移動時間を短縮し、例えば、東京から湘南近辺なら日帰りも可能になった。そのため、多くの人が海を体験できるようになる。こうして鉄道に乗って海へ行くという変化から、潮湯治は海水浴へと姿を変えていく。それでも1887年頃まで、海水浴は「うみみずよく」と読み、やはり心身の鍛錬や健康増進を目的としていた。

 同年、横浜駅から国府津駅まで延伸すると、途中に大磯駅が開設。現在も海浜リゾートとして知られる大磯は、鉄道の開業により東京から多くの海水浴客を集めた。これで、さらに海水浴は庶民に広がっていく。

 大磯は海水浴場発祥の地ともいわれるが、これには諸説あってはっきりしない。海水浴場の定義にもよるが、岡山県倉敷市の沙美海岸が1880年、兵庫県の明石海岸が1881年に海水浴場を開設されたとされている。

 いずれにしても、早い時期から大磯に海水浴場が開設されたことは間違いなく、鉄道の開業が海水浴をレジャーへと変化させた。

 大磯の海岸には、明治版の海の家ともいえる海水茶屋が設けられるようになり、そこでは休憩や飲食物の提供などがされた。海水茶屋では地元の若い青年を雇い、遊泳者の安全確保にも努めている。現在でいうところのライフセーバーも明治時代に誕生していたことにある。