フォルクスワーゲンの原型? 1920年代チェコで生まれた「革新的小型車」 その数奇な運命とは
ポルシェの構造、タトラと酷似
ここでポルシェが提案した、トルクチューブバックボーンフレームと強固なフロアパンを組み合わせたセミモノコックボディのリアに、1リッターの空冷水平対向4気筒エンジンを搭載した流線型ボディのリアエンジン・リアドライブ車は、後にフォルクスワーゲン・ビートルとして全世界的な大ヒット作となる。
ところが実はこのクルマのコンセプトおよび構造が、一連のリアエンジンのタトラ車のそれと極めて類似していたのである。
フェルディナント・ポルシェは、ヒトラーの国民車構想がスタートする以前の1932年に、中堅モーターサイクルメーカーだったNSUの依頼を受け、空冷水平対向4気筒エンジンをリアに搭載した、後年のフォルクスワーゲンの原型と言えなくもないクルマ「NSUタイプ32」を設計している。
握りつぶされたタトラの抗議文
NSUタイプ32の技術的母体になったとされていたのが、ポルシェがかつて勤務していたオーストリアのシュタイアーに残されていた設計資料の数々とも言われている。その資料こそは、1916年から1921年までタトラを離れシュタイアーに在籍していたレドヴィンカが残したものではなかったのか? という疑問である。
1938年5月、フェルディナント・ポルシェ設計による「kdf」ことドイツの国民車(フォルクスワーゲン)は新たに建設された工場とともに大々的にお披露目された。
ところがkdfが発表された時点で、タトラからkdf社(製造会社もクルマと同名だった)に対して、自社の明らかなパテント侵害であるとの正式な抗議文が寄せられていたのである。
しかしこの抗議は、ナチス政権下の強権の前に完全に無視された。それどころか、ナチスは自身の支配下にあったタトラに対して、kdfと競合すると思われた新型車すなわち前述のT97の、製造禁止を申し渡したのである。