大阪メトロ「10系」はなぜ第3軌条車両初の「冷房車」になれたのか? 7月引退を機に考える

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大阪メトロの10系が7月をもって引退する。第3軌条車両初の冷房車で、地下鉄の快適性向上に大きく貢献。冷房能力は1台あたり毎時2万kcal、1両合計で毎時4万kcalを確保していた。

ついに第3軌条車両の冷房装置が実用化

大阪メトロ10系の冷房装置(画像:岸田法眼)
大阪メトロ10系の冷房装置(画像:岸田法眼)

 大阪市営地下鉄は1973(昭和48)年に初の省エネ電車、初代20系を導入。非冷房ながら、将来の冷房装置搭載を想定していた。当初は谷町線でデビューの予定だったが、諸般の事情で御堂筋線に“異動”したのち、1975年6月、10系に改称。10系試作車として非冷房のまま、1976年2月16日にデビューした。

 その後、トンネルの断面積が狭い第3軌条地下鉄に対応した冷房装置の開発が進められ、1977年10月、一部の車両に試験搭載したのち、1979年に10系量産車が冷房装置つきで登場した。

 トンネルの断面が狭い第3軌条地下鉄に対応できるよう、車両の屋根両端に厚さ405mmの薄型冷房機を沈ませるような格好で搭載。冷房能力は1台あたり毎時2万kcal、1両合計で毎時4万kcalを確保した。このため、車内は冷房装置が搭載された部分の天井約2.5mm分が低くなった。

 6月20日より冷房の使用を開始すると、乗客から好評を博したのは言うまでもない。当時は夏季に「冷房ダイヤ」を採り入れ、10系が優先的に使用された。

冷房装置のさらなる薄型化

大阪メトロ中央線の顔、2代目20系(画像:岸田法眼)
大阪メトロ中央線の顔、2代目20系(画像:岸田法眼)

 10系量産車の登場後、第3軌条車両の冷房装置は1両につき薄型を2台搭載したセミ集中式が基本となる。

 その後、第3軌条の冷房車は名古屋・横浜などの各市営地下鉄にも広がり、10系に比べると薄型化された。しかし、その分、冷房能力が低い欠点もあった。

 大阪市営地下鉄は、10系と同様の冷房能力を維持した超薄型の冷房装置開発に取り組み、1984(昭和59)年に2代目20系が登場。冷房装置の厚さを300mmに抑えたほか、冷房装置が搭載された部分の天井の低さも緩和された。のちに10系の増備車(下2ケタが17~26の編成)も冷房装置の厚さを300mmに変更された。

 長らく車両冷房に消極的だった営団地下鉄(現・東京メトロ)も1988年より、架線式の車両を対象に冷房化改造を開始。第3軌条の銀座線、丸ノ内線も1990(平成2)年に厚さ240mmの薄型冷房装置を開発。その分、冷房能力は1台あたり毎時1万4000kcalながら、待望の冷房車が導入された。

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