大阪メトロ「10系」はなぜ第3軌条車両初の「冷房車」になれたのか? 7月引退を機に考える

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大阪メトロの10系が7月をもって引退する。第3軌条車両初の冷房車で、地下鉄の快適性向上に大きく貢献。冷房能力は1台あたり毎時2万kcal、1両合計で毎時4万kcalを確保していた。

第3軌条とは

日本の鉄道史の1ページを刻んだ大阪メトロ10系(画像:岸田法眼)
日本の鉄道史の1ページを刻んだ大阪メトロ10系(画像:岸田法眼)

 半世紀近くの長きに渡り“御堂筋線の顔”として親しまれてきた、大阪市高速電気軌道(大阪メトロ)の10系が2022年7月をもって引退する。この車両は「第3軌条」車両初の冷房車で、地下鉄の快適性向上に大きく貢献した。日本の鉄道史にとっても歴史的な名車と言ってよい。

 第3軌条とは線路脇に敷設した給電用のレールで、「サードレール」とも称される。直流600Vもしくは750V(大阪メトロは後者)の高圧電流が送電されている。鉄道の架線に比べ、感電事故の危険性が高いことから、ブラケット(架線を支える部材)で覆い、トンネル内や駅では2~3か所に保護板を取りつけている。

 第3軌条車両は、台車枠に設置された「集電靴(しゅうでんか。コレクターシューとも称される)」という金属製の摺板(電流を授受する部品)で第3軌条の上面に接触し、電気を取り入れる。これは、一般的な電車のパンタグラフに相当する。

ハードルが高かった地下鉄の冷房車導入

台車枠に設置された集電靴が第3軌条に接触することで、電気を取り入れる。写真は横浜市営地下鉄1000形の台車(画像:岸田法眼)
台車枠に設置された集電靴が第3軌条に接触することで、電気を取り入れる。写真は横浜市営地下鉄1000形の台車(画像:岸田法眼)

 日本の第3軌条路線は、地下鉄を中心に普及した。地上の鉄道に比べて建設費が莫大(ばくだい)なため、トンネルの断面積をできるだけコンパクトにすることでコストを抑えた。このため、電車からトンネルまでの間隔が狭い。

 日本初の地下鉄、東京地下鉄道(現・東京メトロ銀座線)が1927(昭和2)年12月30日に開業すると、「夏は涼しく、冬は暖か」と冷暖房がなくても快適に過ごせるように。その後、地下鉄は大阪や名古屋などに広がっていった。

 しかし列車の増発とともに、車両から放出される発熱量の増加、地下水の枯渇などが影響し、トンネル内の温度が上昇する問題に直面。年中暑い状態を避けるべく、地下駅に冷房が導入されることになり、1956年から大阪市営地下鉄(現・大阪メトロ)御堂筋線梅田駅を皮切りに進めてゆく。

 一方、車両の冷房化はなかなか進まなかった。第3軌条式、パンタグラフで集電する架線式に関係なく、当時の電車は

「抵抗制御」

という、発熱量の多い車両が活躍していたからだ。第3軌条式の場合、電車とトンネルの間隔が狭いことから、冷房装置の搭載も困難だった。

 架線式はトンネルの断面積が前者より広いため、冷房装置の搭載が可能な反面、発熱量がさらに増大するため、なかなか踏み切れない。

 地下鉄の電車に冷房装置を搭載するには、発熱量を抑えた制御装置、なおかつ、ブレーキなどで発電した電力を架線や第3軌条に戻すという「回生ブレーキ」を装備した省エネ電車の導入が必要不可欠な状況であった。

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