「生活保護受給者は自動車を持つな」という暴論 制度的欠陥を改め、「健康で文化的な最低限度の生活」を確保せよ
生活保護受給者の車所有へのバッシング
生活保護受給者に自動車の所有を認めるよう制度変更を求める声が、批判にさらされている。きっかけは、東北6県のブロック紙『河北新報』が5月27日に配信した「生活保護受給者に車の所有認めて 制度見直し求める声」という記事だ。
この記事は、交通インフラの乏しい地方における生活保護受給者の自動車所有を認めるよう求めている。ところが、ヤフーニュースのコメント欄やSNS上にはネガティブな反応が多い。
言うまでもなく、自動車には駐車場代やガソリン代、修繕費などさまざまな維持費がかかる。ネガティブな反応は、そんな自動車を生活保護受給者が所有するのは一般社会から理解を得られないといったものから、生活保護受給者が任意保険へ加入せずに事故を起こした際、被害者が損害を負うことを危惧するものまでさまざまだ。
今回に限らず、インターネット上では生活保護受給者を非難する声が散見されるが、今回もそのような勢力が一定数見られる。しかし、本当にそれでよいのだろうか。「明日はわが身」ではないのか。
「健康で文化的な最低限度の生活」とは何か
まず大前提として、生活保護制度のベースとなっているのは日本国憲法第25条で定められた
「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」
だ。
この権利をめぐっては、「何をもって最低限度」とするのかが、いつの時代も論じられてきた。代表的なものが教科書にも採用されている「朝日訴訟」だ。
これは、1957(昭和32)年に国立岡山療養所で生活していた男性が、兄から月1500円の仕送りを受けることになった際、社会福祉事務所がそれまで月600円支給されていた生活保護を取りやめ、仕送り分から600円を本人に渡し、残りの900円を医療費の自己負担分として徴収すると命じたことの是非を問うたものだ。
裁判で男性は、生活保護の月600円の支給では生活できないとし憲法25条に反していると主張。一審では男性が勝訴、二審では敗訴となり最高裁判決を前に男性が死去したため裁判は終結したが、現代でも「健康で文化的な最低限度の生活」を考える基本となっている出来事だ。
なお、この時、問題となった当時の生活保護費月600円はシャツは2年1枚、パンツは1年に1枚買えばよいという想定の基準であった。