新幹線の“見返り”から40年… なぜ埼玉の短距離路線が「満足度2位」へと躍進したのか?
「新幹線の補償路線」は、なぜ人気沿線へ変わったのか――。埼玉・ニューシャトルが住みここちランキング上位に躍進した背景には、沿線開発と黒字転換、そして運賃を巡る議論があった。
新幹線の補償から始まった歴史

埼玉新都市交通伊奈線(ニューシャトル)は、1983(昭和58)年に大宮~羽貫間が先に開業し、1990(平成2)年に羽貫~内宿間が開業した。全長12.7kmの第三セクター鉄道である。
もともと大きな利用を見込んで計画された路線ではなく、東北・上越新幹線の高架建設にともなう地元自治体への補償として整備された経緯がある。新幹線が高速で通過するだけの地域にとっては負担も大きかったことから、埼玉県とJR東日本グループがそれぞれ35%を出資し、そのほか沿線自治体なども加わる形で発足した。
軌道は、東北・上越新幹線の高架の張り出し部分に沿って整備された。ゴムタイヤ方式の新交通システムを採用したのは、一般の鉄道ほどの利用が見込まれていなかったことに加え、高架の張り出し部分に併設する都合から、車両を小型化する必要があったためだ。また、新幹線の騒音対策という面からも、騒音を抑えやすいゴムタイヤ方式が適していた。
なお、東北・上越新幹線の高架建設にともなう補償という点では、大宮~赤羽間に整備されたJR埼京線も同様である。ただ、こちらは一定の利用が見込まれていたため、一般的な鉄道として建設され、現在に至っている。
ニューシャトルは、新幹線関連の事業として整備された経緯から、初期の建設費負担を抑えることができた。一方で、利用需要を前提に整備された路線ではなかったため、開業当初の経営は厳しかった。1987年には、埼玉県と沿線自治体、JR東日本が経営支援を開始し、車両購入費や駅施設への支援を行っている。