一度は消えた「駅ビル展望台」――いま“マチの顔”として復活している根本理由

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2025年秋、東京・高輪と大阪・淀屋橋で高さ約150mの無料展望施設が相次いで誕生した。かつて合理化で消えた「展望」が、体験型・滞在型として再評価される理由を、都市と商業の変化から読み解く。

大正期の三越から始まった「展望の価値」

日本初の屋上遊園地があった東武浅草駅ビル「松屋浅草/エキミセ」。遊園地は閉園したものの、その展望は「スカイツリーが美しく見える場所」として再び人気を集めるようになった(画像:若杉優貴)
日本初の屋上遊園地があった東武浅草駅ビル「松屋浅草/エキミセ」。遊園地は閉園したものの、その展望は「スカイツリーが美しく見える場所」として再び人気を集めるようになった(画像:若杉優貴)

 さて、今回紹介した「高輪ゲートウェイシティ」や「淀屋橋ステーションワン」のように、都心の商業施設が「展望施設」としても注目されるようになったのは明治~大正期の「商業施設の多層化」にまでさかのぼる。

 いわゆる「呉服店」が現在のような飲食店や子供の遊び場を備えた「複合商業施設化」するはしりとなったのは1903年の白木屋日本橋本店(現・コレド日本橋、東京都中央区)や1908年の日本橋三越本店(東京都中央区)の新装であるといわれるが、とくに大正期に三越日本橋本店の高層階に大食堂が誕生した際には、その「展望」が大きな話題になったという。また1931年には松屋浅草支店(現・松屋浅草/エキミセ、東京都台東区)に日本初となる常設の屋上遊園地が誕生した際にも下町一帯が見渡せる景観は人気を集め、当初は眺めを楽しむためのロープウェイ式遊具も設置されていた。

 戦後になると「展望食堂」や「屋上遊園地」は駅ビルや百貨店の定番となり、高度成長期前後からは最上階に展望のよさのみをウリとした「展望室」を設ける商業施設まで登場した。またバブル期前後には当時日本最大手だった百貨店「そごう」が多くの店舗に回転展望レストランを設置。「展望」は商業施設にとって「買い物+α」という付加価値の定番となった。

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