不屈の定期航路「稚内~サハリン」、もはや運航再開は絶望的 ウクライナ侵攻の余波はあまりにも大きかった
北海道の稚内とサハリンのコルサコフを結ぶ定期航路は、2022年も運航再開の見通しが立っていない。ウクライナ侵攻の影響は経済交流にも及んでいる。
今後の航路の行方は

1999(平成11)年になり航路は「ハートランドフェリー」によって復活、同年5~9月で合計28往復の運航となった。運航再開にあたって、自治体や経済界による支援も活発化したが、毎年夏季限定で継続したものの、2015年で運航停止となった。
1999年以降、日本企業も参加するサハリンでの天然資源開発が活発化したため、貨物量は一時増加。しかしそれも減少に転じたため、稚内市が助成して航路維持に努めたが、黒字化にはいたらなかった。
こうして2016年からは、稚内市が第三セクター「北海道サハリン航路」とサハリン州の船舶運航会社「サハリン海洋汽船」と提携して、チャーターした旅客船で運航することになった。いわば税金でなんとか維持する定期航路という形になったのだった。
しかし、この体制も順調ではなかった。運航は稚内市とサハリン州が費用を折半する形が取られた。ところが2018年にはサハリン側の調整が遅れ、一度は運航が断念された。その後、改めて運航を決定する混乱も見られた。
結果、この年を最後に旅客運航は終了。思うようにならない旅客船を運航するよりも、低調とはいえ需要のある貨物船に絞ったほうがよい――というのが、大方の見方だった。
この航路は将来、経済交流が活発化した時の価値があった。しかし、その価値もウクライナ侵攻で疑問視されるようになった。航路の存在は今後、どうなってしまうのだろうか。もはや絶望的な未来しか訪れないのだろうか。