なんと「運転嫌い」が増えていた! 「好き」「まあ好き」56.8%に急落、ハンドルを握る人はなぜここまで冷めたのか
- キーワード :
- 自動車
運転は「楽しむもの」から「負担を減らす行為」へ変わりつつある。1万1350人調査で、運転好きは4年で4ポイント減少。多数派の内側で進む静かな意識変化が、車市場の評価軸を塗り替え始めている。
運転体験のコスト化

「嫌い」が急に増えたわけではない。変化の中心にあるのは、「まあ好き」の減少と「どちらともいえない」の増加だ。運転に向けられていた感情が弱まり、評価が宙に浮き始めている。快でも不快でもない、ニュートラルな行為として運転が位置づけられつつある。
経済行動として捉えれば、この動きは腑に落ちる。効用が下がった行為に、人は感情を割かない。楽しさは薄れ、負担は増えた。それでも代わりの手段が乏しいから、運転は続けられている。残るのは、積極的な評価でも強い反発でもない、ただの無関心だ。
運転が「コスト」として意識される理由もはっきりしている。この8年で、運転にともなう負荷は確実に増してきた。交通量は膨らみ、道路環境は複雑化した。運転支援技術の普及は一定の安心感をもたらしたが、完全には任せきれない不安も生んでいる。事故を起こした際の社会的責任や周囲の目も、以前より重くのしかかる。
さらに、運転は「操る行為」から「絶えず注意を払い続ける行為」へと性質を変えてきた。主体的に楽しむ余地は狭まり、判断と監視を求められる時間が増えた。裁量は減っても、責任は残る。このねじれが、運転を割に合わない行為と感じさせている。
一方で、運転から得られる満足度が高まったわけではない。負担が増えた分、見返りが増えているわけでもない。結果として運転は、消費ではなく処理に近づいた。時間や注意力、精神的な余裕を支払う行為として認識され始めている。
これは自動車産業にとって重大な転換点だ。付加価値の源泉を、運転体験そのものに置き続けることが難しくなりつつある。運転は楽しむ対象である前に、いかに負担なく終えられるかが問われる行為へと移行している。