マツダ「5つのブランド」はなぜ消えたのか?──バブル期の乱立戦略“クロノスの悲劇”をご存じか

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マツダは1990年代、国内販売80万台を目指し5チャンネル体制を拡張したが、複雑なブランド構造とバブル崩壊で失速。ロードスターのみが輝きを放ち、後のトヨタ・レクサス戦略はこの失敗を反面教師に成立している。

センチュリー独立戦略

マツダのロゴ(画像:EPA=時事)
マツダのロゴ(画像:EPA=時事)

 2025年10月13日のトヨタイムズ生放送で、トヨタ自動車は「センチュリー」を「レクサス」の上位に位置づける独立ブランドとして扱うと発表した。

 レクサスの場合、「レクサス LS」のように車名にトヨタを付けず、販売店やサービスも通常のトヨタ販売網から切り離して運営されている。発表時点では、センチュリーの販売チャネルの詳細は明示されていないが、専用ブランドサイトでは「TOYOTA」のロゴを前面に出していない。

 この展開は、“一強”ともいえるトヨタならではの戦略に見える。しかし実際には、マツダもかつて同様のブランドプロジェクトを試みたことがある。

 しかも、マツダはひとつのブランドに絞らず、複数を同時に立ち上げていた。だが、ブランドを十分に育てる前に短期で失速した。この失敗プロジェクトはどのようなものだったのか。

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