マツダ「5つのブランド」はなぜ消えたのか?──バブル期の乱立戦略“クロノスの悲劇”をご存じか
マツダは1990年代、国内販売80万台を目指し5チャンネル体制を拡張したが、複雑なブランド構造とバブル崩壊で失速。ロードスターのみが輝きを放ち、後のトヨタ・レクサス戦略はこの失敗を反面教師に成立している。
複数ブランドの消滅
1990年代後期になると、5チャンネル体制の再編が本格化する。1996(平成8)年4月、重複する要素のあったユーノスをアンフィニ系列に統合し、看板をマツダアンフィニに改めた。ユーノス専売だった車種もこのルートに吸収され、販売チャネルとしてのユーノスは事実上消滅した。1997年7月には、残っていたユーノス800がマツダ・ミレーニアに改名され、車名からもユーノスが消えた。
同じころ、オートラマはフォード色を強める再編に入り、マツダ5チャンネルの一角という位置づけから徐々に外れた。1997年には社名を「フォードセールスジャパン」に変更し、1999年には「フォード・ジャパン・リミテッド」の設立でフォード直営体制へ移行した。
1998年4月にはオートザムをマツダ本体系列に整理し、「マツダオートザム」とした。「オートザム○○」の車名表記も段階的に「マツダ○○」へ移行した。以後はマツダ、マツダアンフィニ、マツダオートザムの実質3本が残ったが、扱う車種の差は年々小さくなり、アンフィニも高級チャネルとしての独自性を失った。こうして1990年代末には、バブル期に増やした「マツダを冠さない複数ブランド」はほぼ姿を消し、車名としてはマツダに集約された。5チャンネル時代の最大のスターは現在、マツダ・ロードスターである。
トヨタがレクサスを国内で本格展開した時点で、マツダ5チャンネル戦略は壮大な失敗例として共有されていた。これを反面教師にしたかは不明だが、トヨタはレクサスを一本化し、「トヨタとは別の高級ブランド」という色を最初から明確にし、一貫させている。