人口わずか161人! 絶海の孤島「青ヶ島」、上陸困難が示す日本最少自治体のリアルとは

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太平洋上に孤立する東京都・青ヶ島。人口わずか161人、年間観光客は900~1800人にとどまる絶海の孤島は、1785年の天明大噴火で半数以上が命を落とした。半世紀を経て全島民の帰島が実現した、復興と生存の軌跡である。

青ヶ島還住の歴史記録

青ヶ島(画像:写真AC)
青ヶ島(画像:写真AC)

 挫折を経て一時は帰島を諦めた青ヶ島の住民だったが、1817(文化14)年、佐々木次郎太夫伊信が青ヶ島の名主に就任すると、再び帰島計画が始まった。これまでの失敗を踏まえ、次郎太夫は綿密な計画を立て、着実に成果を積み上げた。その結果、ついに全島民の帰島を実現したのである。

 しかし青ヶ島が再び検地を受け、年貢を納めることができるまでに復興したのは1835(天保6)年のことだった。帰島の思いが現実となるまでに、半世紀あまりが費やされたのである。

 この過程は後世の多くの文筆家の関心を引いた。柳田国男の『青ヶ島還住記』もその一例である。「還住」とは、一度居住地を離れた者が再び戻り生活することを指すが、現在ではほぼ青ヶ島島民の帰島を意味する言葉として使われている。

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