人口わずか161人! 絶海の孤島「青ヶ島」、上陸困難が示す日本最少自治体のリアルとは
太平洋上に孤立する東京都・青ヶ島。人口わずか161人、年間観光客は900~1800人にとどまる絶海の孤島は、1785年の天明大噴火で半数以上が命を落とした。半世紀を経て全島民の帰島が実現した、復興と生存の軌跡である。
アクセス難地の生活

青ヶ島の存在感を際立たせているのは、アクセスの困難さである。島への交通手段はすべて八丈島経由で、連絡船「あおがしま丸」「くろしお丸」やヘリ「東京愛らんどシャトル」で本土と結ばれている。
定期船の就航率は約40%と低く、海が荒れると接岸できない。ヘリは就航率70%だが定員は9人と少なく、予約は困難である。飛べなかった場合は次の空いている日に振り替えとなるため、到達も帰還も容易ではない。
この交通のハードルの高さと旅費の高さが、観光客が二の足を踏む理由となる。年間の観光客数は900~1800人にとどまる。近年は
「海外での認知度上昇」
により予約がさらに困難となり、島民の生活にも影響が出ている。電力は島北部の内燃力発電に依存している。それでも港の整備などにより、かつてより環境は改善されている。
1955(昭和30)年に新東宝が製作した映画『青ヶ島の子供たち 女教師の記録』では、当時の青ヶ島の様子が描かれている。冬には船がまったく接岸できず、島が外界と孤立する様子が映し出されている。火山の一部が海上に露出し、周囲はすべて崖で囲まれている地形だ。わずかな平地に人々が暮らしている。
住環境は困難だが、水はあり土地は肥沃である。台風が来ても外輪山に囲まれているため、被害は比較的抑えられる。そのため、隣の八丈島と比べると飢饉の心配は少なかった。1700(元禄13)年には飢饉に見舞われた八丈島の人々が青ヶ島に向かおうとして遭難した記録がある。両島を隔てる黒潮は激しく、動力のない船で渡るのは至難の業だった。