東京ビッグサイトはなぜ「コミケ聖地」になったのか? 25万人動員、交通混乱が生んだ街の変貌とは
東京ビッグサイトで開催されたコミケ106は2日間で約25万人を集客。未整備の交通網や高額食堂が周辺経済を刺激し、大規模イベントが都市インフラと地域収益を同時に動かす実態を浮き彫りにした。
開業の舞台裏

もともと、東京臨海副都心では1996年3~10月に世界都市博覧会が予定されていた。しかし東京都知事・青島幸男の判断で中止となった。そのため、苦肉の策として東京ビッグサイトを早期に展示場として貸し出す方針が打ち出された(1995年8月)。
都市博中止にともない、東京国際見本市会場から東京ビッグサイトへの移転は当初の1996年11月予定から、同年3月に前倒しされた。突然の変更で、すでにブース割りを終えていたイベント主催者は混乱した。
東京都は会場使用料を半額に設定し、担当職員は夏休みを返上して説得にあたった。都市博期間中に開場を空にしても45億~50億円の経費がかかり、1995年秋に開業予定のゆりかもめへの影響も懸念されたためだ。使用料半額は最善策と判断された(『東京新聞』1995年8月17日付夕刊)。こうして東京ビッグサイトは、東京都庁や江戸東京博物館と並び
「バブルの遺産」
と呼ばれるネガティブなイメージのなかで、1996年4月にスタートした。
最初のイベントは同月5日開幕の「第24回東京国際モーターサイクルショー」だった。続く23日からのリクルート主催就職相談会には初日だけで1万2000人が参加した。新施設での華やかな催しはニュースになった。さらに、ゆりかもめの開通で観光客も増加した。
有明コロシアムでは、当時話題のテニス選手、伊達公子とシュテフィ・グラフの試合が行われ、各種イベントも開催された。その結果、平日1日4万人程度だった乗客数は、ゴールデンウィーク中に最大8万8000人に達した。