東京ビッグサイトはなぜ「コミケ聖地」になったのか? 25万人動員、交通混乱が生んだ街の変貌とは

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東京ビッグサイトで開催されたコミケ106は2日間で約25万人を集客。未整備の交通網や高額食堂が周辺経済を刺激し、大規模イベントが都市インフラと地域収益を同時に動かす実態を浮き彫りにした。

有明臨海部の形成史

1989(平成元)年、中央区晴海の東京国際見本市会場の航空写真(画像:国土地理院)
1989(平成元)年、中央区晴海の東京国際見本市会場の航空写真(画像:国土地理院)

 ここで東京ビッグサイトが開業する1996年4月までの有明の歴史を振り返る。

 有明は東京都江東区の臨海部にある町名で、現在は一丁目から四丁目までに分かれる。深川地域に属し、東京港埋立10号地の一部をなす。台場の東、東雲の南西、豊洲の南に位置し、首都高速湾岸線や東京湾岸道路、りんかい線が中央を横切る。

 一・二丁目は1931(昭和6)年の東京港修築事業計画で埋め立てられ、三・四丁目は東京港港湾計画で整備された。1980年代後半までは工業地が中心で、沖合はハゼ漁の場として釣り船が多く出ていた。1961年には波浪による事故で釣り船10隻が遭難し、11人が死亡した。

 1968年4月1日、一・二丁目に住居表示が実施され、深川有明町の各一部が編入された。三・四丁目は1979年に成立し、2009(平成21)年の住居表示では二丁目との境界や東雲二丁目との町界を道路基準で改めた。町名「有明」は将来の発展を見込み、隣接する東雲との関連性も意識して命名された。

 当時の有明は工業地や倉庫、埠頭が中心で、住宅はほとんどなく人口も極めて少なかった。鉄道やバスなど交通網も未整備で、生活利便性より港湾や工業用途が優先されていた。

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