伊豆諸島はなぜ「東京都」? 伊豆半島は静岡なのに…という根本疑問
伊豆諸島は東京から120~600kmに散在する火山列島で、定期船や航空路線により実質移動時間は大幅に短縮される。江戸時代から東京と経済的結びつきが強く、観光や物流、災害対応を支える東京中心の移動経済圏の一部として重要な役割を担っている。
経済が導いた管轄の合理化

もともと耕地の少ない伊豆諸島は、米の代わりに塩や絹を年貢として納めていた。江戸時代後期になると産業が発展し、年貢は金銭で納める形へと移行する。島々ではつばき油や魚介類を売り、収入を得るようになった。
当初は「島問屋」と呼ばれる商人が取引を担っていた。しかし独占的な権利を持つ商人が生産物を安値で買いたたくようになり、不公平が拡大した。幕府はこの状況を改めるため、江戸に島方会所という取引所を設け、島の産品をそこで扱う仕組みを導入した。こうして江戸時代の時点で、伊豆諸島と伊豆半島の関係は「距離の近さ」にとどまっていた。
その後も東京との結びつきは強まった。1981(昭和56)年に刊行された『伊豆諸島東京移管百年史』(東京都島嶼町村会)によれば、静岡県にとっても伊豆諸島の管轄は問題を抱えていた。取引の多くは東京で行われ、トラブルが生じれば東京の商人を呼び出すか、島民が東京へ赴く必要があった。
所属がまだ静岡県の段階でも、裁判事務はすでに東京裁判所が管轄していた。結局、行政も東京が担う方が合理的と判断され、1878(明治11)年1月11日に伊豆諸島は正式に東京府へ移管された。『伊豆諸島東京移管百年史』は
「移管は当然で、むしろ遅かった」
と記している。当時の島民にとっては「なぜ静岡県だったのか」という思いの方が強かったのだろう。